声を受け止める力量が

いまこそ開われる
日本軍「慰安婦」問題金学順さんの証言から30年
梁澄子[ヤン・チンジャ]さん(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)にきく

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1991年8月14日、韓国の日本軍「慰安婦」被害者である故・金学順(キム・ハクスン)さんが自らの体験を実名で証言した会見(ソウルで実施)から30年となりました。金さんの告発に勇気づけられた韓国をはじめ多くの被害者が続々と名乗つをあげて証言する契機になったとされ、日本政府の加害責任を追及する動きも高まりました。問題の解決に向けて長年にわたり行動を続ける日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表の梁澄子さんに話を聞きました。(聞き手=有田崇浩)
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 韓国では、日本による植民地支配からの解敢後、軍事独戴政権が続き、民主化を勝ち取ることが最重要課題であった時期が長く続きました。民主化運動の過程では、権力側による性暴力だけでなく、民主化陣営の中でもセクシャルハラスメントなどがあり、女性の人権問題は深刻な課題といってよい状況でした。そして1987年の民主化達成を前後して民主化運動をたたっかっていた女性たちが声を上げ始めます。

  「沈黙」ではなかった

 90年に入ると、そうした女性運動中で、日本軍「慰安婦」問題が大きく位置づけられていきました。
 日本軍「慰安婦」問題が大きくクローズアップされる前である80年代の段階で、植民地朝鮮から姿を消した女性たちの足跡をたどり、日本軍「慰安婦」の調査を先駆けて開始していた尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんや、韓国女性運動のゴッドマザーといえる存在の李効再(イ・ヒョジェ)さんが日本軍「慰安婦」問題を女性運動につなげていく役割を果たされたのです。
 金学順さんご自身は、91年8月14日に記者会見を開いて証言する以前から身近な人には自らの体験を訴えていました。決してそれまで沈黙されていたわけではありませんが、証言ができる仕会的な条件が整っていなかったのです。そして、91年11月にキリスト教女性運合会や韓国女性団体連合といったさまざまな女性運動団体や研究者、学生が一緒になり、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が結成されました。
 金学順さんが証言する背景には、こうした女性運働の高まりがありました。
 91年12月、金学順さんが謝罪や賠償などを求め日本政府を提訴した際、金学順さんの証言を聞く会が東京で開催されました。この時、「なぜ50年近く経過した今名乗り出たのか」と質問されました。それは日本軍「慰安婦」問題が日本社会に問われた当初、何度となく発せられた問いでした。
 しかし、彼女たちはそれまで決して沈黙していたわけではありませんでした。私が支援していた、宮城県に住んでいた日本軍「慰安婦」被害者の宋神道(ソン・シンド)さんは、かつて「自分は『慰安婦』にされたことを誰にも言ったことはない」と公言していましたが、周りの人は彼女が日本軍「慰安婦」であることを知っていました。「慰安婦」とは言わずとも、何か悔しいことがあると「私は中国まで行ってお国のためにたたかってきたおなごだぞ」と周囲に主張していたからです。
 日本軍「慰安婦」の被害者たちはそれぞれが、それぞれのやり方で訴えていました。数十年近くにわたり「沈黙ではない沈黙」が続いていたのです。
 「なぜ50年経った今?」という問いは、当時、日本の市民の間でそうした「沈黙」に想像を馳せる力が育っていなかったことをあらわしています。

  事実を認めて継承を

 金学順さんの証言は、多くの日本軍「慰宥婦」被害者に勇気を与えました。現在の「#Mo Too」運動やフラワーデモにもつながっています。フラワーデモで性暴力の被害者たちが何年も前の体験を語るのは、それが自らにとって忘れられない傷になっているからこそです。同じく、日本軍「慰憲婦」の被害者たちがその体験を語り続けるのは、決して忘れることができない体験だからなのです。
 日本軍「慰安婦」問題の真の解決には、被害者が納得する形の解決策が示されなければなりません。被害者たちは加害国日本による事実認定、心からの謝罪、法的賠償、未来世代への教育と真相究明の継続を願っています。
 私が大学などで日本軍「慰安婦」問題について話すと、「慰安婦問題って被害者がいる問題なんですね」と答える若者がいます。それくらい、日本社会では「慰安婦」問題が日韓問題、政治問題としてしかとらえられていなくて、これが女性たちの人生を変えた人権問題なのだという視点が欠けています。これからは被害者がいなくなる時代を迎えますが、日本軍「慰安婦」被害者は、自分たちのことを忘れないでほしい、二度と同じようなことがくり返されないでほしい」と顧っています。そうした声にこたえることができるのか、社会の力量が問われています。

(『平和新聞』2021年8月25日)