「美しい花がある。花の美しさという様なものはない」
イラストレーターと言う仕事をしている時にふと思うのは「この線、必要か?不要か」
線を消したり戻したり…。
坂口安吾も『堕落論』で書いていたと思うが(今手元に無いので定かでない)「不要な一文たりともあってはならない」と。
話はそれたような感じがしますが「美しい花」を感ずる感性を大事にせねばと改めて思ったしだいです。
どうしても「なんでこの花は美しいのだろう」と考えてしまう。
そうでなく、ただ美しい花を見て自分のものになれば良いのだろう。と。
また、このような逸話も書かれてました。
若かりし頃、友人の中原中也の恋人を奪い、同棲をしたときの回想。
「女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を行こうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた」
むむっ。
この逸話何かで読んだぞ。
確か安吾の堕落論か?手元にない…。
うぅーと、本棚を見ると中原中也の詩集「汚れつちまった悲しみに…」を見つけてしまった…。
30才の若さで亡くなった中也の詩。
ぐぐっと、また深く考えてしまう。
さて、梅から桜へ。
美しい花が咲く季節。
何も考えず、美しい花ををただ見つめるだけで良いのかと考えるとふと気持ちが楽になったりする。
自然の美しさには、到底かないっこないのだろう。
と、今日はちと感傷的です。
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