大山叶(おおやま かなえ)の「山登りハレ日記」

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神社仏閣のある山々を巡り、山日記などを書いています。
今日も陽のひかりを浴びて山に登ります。

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第五話 鳳和32年(西暦2047年) 手紙

 

白髪の男は、黒髪の女性客が薬膳カレーを食べ終わる頃を見計らい、ハーブティーとチーズケーキをテーブルに置くと、こう切り出した。

「お嬢さん、あなたが玄関先に現れた時、私は、一瞬、妻が戻ってきたのかと錯覚してしまいました。」

「初対面のお嬢さんに、こんな話をしてしまいました。お許し下さい。」

「今、店内に流れている曲は、妻が好きだった曲で、つい、レコードをかけてしまいました。普段は、お客さんが居る時、このレコードはかけないのに、今日の私はどうかしています。」

「このチーズケーキは、私からのプレゼントです。エメラルドグリーン色のジャムは、昨年の夏、この近くで採った「サルナシの実」に、はちみつを少し混ぜて作ったものです。よかったら、チーズケーキに付けてお召し上がりください。」

 

白髪の男は、そう言うと、

ライトブラウンのサランネットが掛けられたチークのスピーカーに置かれたレコードジャケットに目を向けた。

2つのスピーカーの間には、ローズウッドのレコードプレーヤー、その横にフィラメントからオレンジ色の光を放つ真空管アンプ、そして、1枚の写真が飾られていた。

 

女性は、ハーブティーを一口飲み、オーディオの写真に目を止めると、この店を訪れた訳を話しだした。

「私は、斎部麻音と申します。」

「あの写真に写っている「朝日を浴びて山の頂に立つ女性」は、私の母によく似ています。「美裕貴伯母様」に違いないと思いました。そして、あなた様は「吉野三郎様」であると確信しました。」

「伯母様が、私の母・幸子に充てた手紙の中に、「吉野三郎様」にお渡しする手紙が同封されておりました。そして、「この手紙」を私から直接、吉野様に渡すようにと書かれていました。」

 

「先に私から名を名乗るべきでした。心配をお掛けし、申し訳ないことをしました。」

「ところで、よくここがわかりましたね。」

「この地を訪れる人は、鏡池には行きますが、小鳥ケ池まで足を延ばす人は少ないですよ。」と言うと、麻音から受け取った手紙を読み始めた。

 

「前略。吉野三郎様。

手紙ではありますが、三十年の時を経て、こうして三郎様とお話ができること、美裕貴は嬉しく思います。

 

この手紙を手渡しにきた女性は、私の妹の「幸子」の長女です。

笑うと「ほほに笑窪」ができ、私によく似ていると思います。

私と同じように斎部家を継いでいく者です。

 

 

三郎様とは、山がご縁でしたね。

姪も、私と同じように、ご縁を頂き、誰かと共に歩み、「お役目」果たして行くことと思います。 

あの時は、・・・・・・・・・・・・・でしたね。

 

どうか、三郎様

私と共に歩んできたこと。そして「ひすいの勾玉」のこと。私の姪にお話ください。

そして、・・・・していただければ、幸いです。

 

最後になりますが、

三郎様とは、天の声に従い共に歩んで参りましたね。

この手紙も天から光と共に降りてくる声に従い書きました。

三郎様とは、明日の鹿島神宮での「お役目」を最後に、お別れすることとなりました。

残念でなりませんでしたが、お別れを口にすることができませんでした。

これも斎部家を継ぐ者の定めと諦めております。

・・・・・・・・・。

 

名を変え、姿を変え、前世、今生、そして来世へと私の魂は生き続け・・・。

肉体の記憶は・・・。しかし、私の魂は・・・。

 

私は、三郎様に出会えて、幸せでした。

2012年10月30日(甲子) 妻 美裕貴」

 

読み終えた三郎の目はうるんでいた。

 

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☆2021年11月5日(金)晴れ

榛名神社と榛名富士に行くことにした。

この地には、活力や癒しのエネルギー(生気)が流れ、訪れる者の運気が上がるという。

 

言わずと知れたパワースポットである。

 

☆榛名山・榛名富士(1391m)

榛名山は、妙義山、赤城山とともに上毛3山のうちの一つである。

榛名富士神社(榛名神社の境外末社)のある山頂へは、登山口から歩いて50分。ロープウェーを利用すれば山頂駅を経て10分程である。

今回は、圏央道の渋滞で、予定より3時間ロスした。ロープウェーを利用して山頂の神社に向かった。

紅白に塗られた社は、明るく、おめでたい。縁起によると縁結びの神様が祀られているという。

山頂からは、遠く富士山も眺めることができ、誠に素晴らしい景色である。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆榛名神社

榛名神社は、聖徳太子の父・用明天皇の時代(6世紀)に創建されたという。

この神社には、主祭神として火の神・火産霊神と大地の神・埴山昆売神がお祀りされている。

本殿裏には神霊の籠る御姿岩が鎮座している。

榛名神社の公式サイトには「神社入口より約700メートルの参道は清流に沿い、老杉が空を蔽い、巨岩奇岩に心打たれ森厳極まりなく、本殿に到着した時には身も心も洗われております。」と紹介されている。

社務所前の「榛名神社年中御祭儀」には、古来「天下泰平,国家安穏、鎮火、開運、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛、縁結び、安産守護」並びに近年、火の神様、土の神様の御神徳を仰ぎ「土木、電力、電気、通信機器、陶器、焼き物関係の守護」とある。

 

紅葉の参道を歩き、途中、途中に現れる七福神に福を感じ、本殿お詣後には「汚れが落ちて、心身ともに、力強くなった自分」を感じた次第である。

 

 

 

隋神門(プライバシーに配慮させていただきました)

 

 

    

本殿(プライバシーに配慮させていただきました)

 

  

 

 

御姿岩

 

        

   

 

 

瓶子の滝

 

 

 

 

 

☆七難即滅七福即生 

  福を授けてくれるという七福神 七柱

 

一 隋神門の右側 毘沙門天 

 

 

二 禊橋手前   寿老人

 

 

三 千本杉付近  布袋 

 

 

四 みそぎ屋左側 福禄寿

 

 

五 三重塔右側  恵比寿

 

 

六 神橋の先左側・万年泉手前 弁財天

 

 

七 双龍門前の階段右後ろ  大黒天

 

 

 

☆渋川市伊香保町水沢の名物

日本三大うどんの一つ、「水沢うどん」は三角形のざるに盛られていた。

麺はコシがあり、つるっとした食感で、一緒に注文したマイタケの天ぷらも香り良く、大変おいしい。

 

 

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入道ケ岳登拝(906.1m)

コロナ禍、先行き不透明であったが、3月に宿を予約し、椿大神社の奥宮・入道ケ岳(椿大神社の御由緒によると「高山(入道ケ嶽)」と記されている。)の登拝を計画した。

コースタイム(北尾根ルート)上は、登り2時間程度で日帰りコースであるが、人気の少ない早朝、境内でご神氣を戴きたいと思い、また、「猿田彦神社」にも参拝したく1泊2日の旅とした。

 

 

☆椿大神社の御縁起等

由緒略記などによると、

椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神としてお祀りし、相殿には皇孫の「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀には「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」をお祀りしていると記されている。

 

猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に先導された。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社であると記されている。

 

神社の名の由来は、仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とし現在に及ぶとある。また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されていると記されている。

 

猿田彦大神の御神徳は、地上に生きとし生けるものの平安と幸福を招く「みちびきの祖神さま」で、地球国土、土地家屋敷安泰守護、地鎮祭をはじめ、建築、方災解除、厄除開運、家内安全、無病息災、交通安全、旅行安全、商売繁昌、家運隆昌、良縁子孫繁栄、進学修業、事業成就などに霊験あらたかであると記されている。

 

 

☆日 記

10月16日(土)、午前3時、お気に入りのCDをかけ、最大吉方位に車を走らせる。

天気は曇り。車窓から見る鈴鹿の峰々は、雲に覆われていた。

午前5時50分、椿大神社第3駐車場に車を止める。早出の登山者は既に歩き始めていた。

午前6時00分、身支度を整え歩き始める。

椿大神社本殿で登山の無事を祈念。「金龍明神滝」の下流にある「かなえ滝」でお水(お水取り)を戴き、午前6時30分北尾根登山口から登り始める。

 

                                                                                                              

         

 

   

                       

 

 

 

         

  

 

 

           

 

    

                  

 

 

                  

       かなえ滝  そのご利益から待受け画面にする人がいるとか。

 

 

愛宕社鳥居のところから始まる北尾根ルートは、高度を上げるに連れてヒノキ、雑木、アセビへと樹相を変え、「椿大神社奥宮入道ケ嶽山頂」へと登る者を誘う。

北尾根を登りきる手前のアセビの樹林帯は濃密であった。まるでアセビのトンネルの中を歩く感じで、何か強い「意志」が働き、アセビの幹や枝を左右の谷側に湾曲させているように思えた。

そして、この濃密な空間を過ぎると、突然、霧の笹原に出て、斜面には白いノコンギクのお花畑?が眼前に広がっていた。

印象としては「暗い」から始まり、「明るい」、「畏敬」、「解放」、「喜び」へと移る。

 

大鳥居の立つ山頂へは、笹原に出て「北の頭」を超え、午前8時30分到着した。

霧の立ち込める中、「椿大神社奥宮入道ケ嶽山頂大鳥居」をくぐる。

 

早速、「奥宮でお詣」と思い、当たりを見回したが、何と、どこにも奥宮の「社」が見当たらない。

山頂で憩う登山者に尋ねても、「社」は分らないとの答が返ってきたが、皆、親身になってくれた。

カップルの登山者は、奥宮の「社」探しに途中まで同行してくれた。

おかげさまで、入道ケ岳北側に位置する山(915m)の山頂手前で奥宮の「社」を見つけることができた。感謝、感謝である。

 

霧の中、早速、お神酒を上げ、祝詞を奏上した。

祈念し、一礼の後、目を開けると、何と、目の前の霧が取れて社の上空には晴れ間が覘き、そして、後ろを振り向くと、一瞬、雲間から太陽が現れた。そして、霧の中に薄っすらと「椿大神社奥宮入道ケ嶽山頂大鳥居」が見えた。

下山は、「井戸谷コース」をたどる予定でいたが、何故か、元来た北尾根を下ることになった。

 

                

 

 

    

       椿大神社奥宮入道ケ嶽山頂大鳥居

 

 

                                            

       奥 宮

 

 

              

  振り向くと太陽が、そして、山頂の鳥居が現れた。

 

 

   

  茶室・鈴松庵の抹茶と和菓子

  察するに、お抹茶は入道ケ嶽を源とする明神川の清流で立てているのだろう。

  この水は、万病を治す不応長寿の御神水らしい。

  茶室と庭園は、パナソニック創業者の松下幸之助翁が茶道の発展を祈念し寄進されたとのこと。

  帰りがけに和菓子のお皿を戴いた。

 

 

    

  御船磐座 

  瓊瓊杵尊が天孫降臨の際に乗っていた船が到着した場所とされている。

 

        

       

  高山土公神陵  

  猿田彦大神の御陵と言われている。           

 

 

          

  別宮 椿岸神社                                     

  御祭神

  主神 天之鈿女命

  相殿 太玉命 天之児屋根命

 

 

  

  椿岸神社そばの福を招く玉   

 

 

 

 

 

 

  

  鉄砲柱  

 

 

10月17日(日) 早朝の椿大神社お詣りの後、猿田彦神社に向かう。天気は曇り時々雨。

 

        

  猿田彦神社                    天之鈿女命を祀る佐瑠女神社

                  

 

   

  猿田彦神社の裏にある「御田」

         

             

 

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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妙法ケ岳登拝(1332m)

2021年9月21日~22日

妙法ケ岳の登拝自体は、登り下り合わせて2時間程度で、日帰りコースであるが、「三峯のご神氣」をしっかり頂きたいと思い、興雲閣に1泊することとした。

☆三峯神社のご祀神 伊弉諾尊 伊弉冉尊

☆三峯神社の縁起

 三峯神社は1900年ほど昔、日本武尊が東国の平安を祈り、国生みの神さま二神をお祀りしたのが始まりと伝わっている。

また、三峯の名 は、神社の東南にそびえる雲取山、白岩山、妙法ケ岳の三山が美しく連なることから、三峯宮と称されている。

 

☆日 記

令和3年9月21日(火)、「リーワイリーのナイトイン・マンハッタン」のCDをかけ、真夜中に車を走らせる。

良き時代のニューヨークを想わせる小粋な歌声と絶妙なトランペットに眠けが吹っ飛ぶ。

山梨市のフルーツラインを北上中、西の山際にオレンジ色の丸い月を観る。

午前7時頃、三峯山駐車場に着く。

 

コンビニのおにぎりを頬張り、妙法ケ岳に向け出発。

遊歩道を抜け、入山者届のある鳥居をくぐり、登山を開始する。

ヒノキ林から広葉樹林に変わる頃、森に明るさが増す。

少し開けたところからは、ノコギリのような稜線が特徴の両神山を見る。

 

 

 

先を進み鳥居を2つくぐり、少し進むと最後の急登となる。ここは、遥拝殿などから見る妙法ケ岳の「ラクダのコブ」である。

このコブを超えたところが山頂であるが、山頂直下には、若干の鎖場がある。

 

 

 

山頂へは午前8時を少し回って到着した。静かな奥宮である。

幾体もの御眷属の山犬像(大口真神「おおぐちのまかみ」)が歓迎してくれているように思えた。

 

早速、お神酒をお供えし、祝詞を唱える。

「びゅー」と、風の塊が私の体を通り過ぎた。

 

山頂南側からは、雲取山をはじめとする峰々が見え、重なり合った山並みに奥秩父山塊の「濃い氣」を感じる。

山頂の秩父宮様記念碑の裏側には、岩に根を張る(絡みつく)1本の樹木がある。

ここからは、両神山などの雄姿が見えるが、この場所には静かで澄み切った「特別な雰囲氣」があり、浄化されて、ゆったりとした心持ちになれた。

 

    

 

 

1時間以上山頂に滞在し、下山することとした。

入山者届のある鳥居50~60mほど手前のところで、和菓子屋さんが小豆を煮ているような甘い匂いが風に乗って漂ってきた。

樹木は見当たらないが、秋に甘い匂いを漂わす私の好きな「桂」に間違いないと思った。

神さまに感謝。

 

下山すると、早速、パワーチャージに、名物「わらじかつ丼」を食べる。

名物を運んできてくれたおばちゃんが、「あの山が雲取山で、その横が白岩山、V字に切れ落ちた先が霧藻ケ峰で、妙法ケ岳はここからは見えないよ。」と丁寧に教えてくれた。


 

名物で鋭気を養ったところで、お詣と神域散策に出かけることにした。

本殿の敷石には、瑞祥「龍」が見える。平成24年辰年に突然現れたという。

これは「龍の通り道」の証なのだろうか。

本殿前で、神社両脇の御神木と併せて、しっかりと「運氣」を頂く。

 

 

本殿を過ぎ、祖霊社、国常立神社、そして摂社へと向かうが、途中、2度も3度も鮮やかな龍の彫刻を施した神社が気になり、その前を行ったり来たりを繰り返した。

あまりに気にかかるので、その社をのぞいてみると何と、額に「日本武神社」と記されていた。

驚きとともに、何とも言えない嬉しさがこみ上げてきた。

早速、祝詞を奏上し、お詣することとした。

 

 

続いて、御眷属の使いの神さまでお犬様の「大口真神」がお祀りされている「御仮屋」のお詣に行くことにした。

お犬様は、「オオカミ」と言われている。お犬様は、第十二代景行天皇の命を受けた日本武尊が東国平定の帰り道に山梨県から埼玉県を経て碓氷峠に向かう途中、道案内をされたという。

お犬様は、あらゆるものを祓い清め、様々な災いを除くと言われている(御神札として1年間「御眷属拝借」することができる。)

 

 

 

翌朝、朝食前の6時に宿の興雲閣を出て、お詣と散策をした。

早朝の神域は、厳かな光が天から降り注ぎ、浄化されていくようだ。文字で表すことは、今もって難しい。

ただただ、感じるのみである。

 

    

          

 

  

 

 

もう少し神域に留まりたい思いに駆られたが、午後の早い時間の帰宅を考え、早々に宿を出ることにした。

帰り道、緩やかに参道を下って行くと、一頭のアゲハ蝶が目の前に現れ、ひらひらと優雅に上下しながら三ツ鳥居へと私を誘ってくれた。

また、お出でと言ってくれているようであった。

 

 

    

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

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第四話 鳳和31年(西暦2046年) 研究室

 

麻音は、高徳市の実家から帰京すると、その日の午後には東都大学の教壇に立っていた。

麻音の担当教科は「古事記」で、ユニークな解釈と講義終了時に学生のリクエストに応えて歌う和歌などから、麻音の講義は学生から好評で他大学の学生も聴講にくるほどであった。

 

「今日は、古事記上巻の大国主命と高志の国の瓊河姫(ヌナガワヒメ)の関係について、皆さんと考えてみましたが、いかがでしたか。瓊河姫(ヌナガワヒメ)の「瓊」は、以前、講義でお伝えした「八坂瓊之曲玉」という宝玉の「瓊」と同じで、これは、・・・・・・・ですね。それでは、時間も大分超過しましたので、本日の講義は、ここまでとします。次回は、「高天原の使いたち」について、考察したいと思います。質問は、後で受けますが、どうしても今聞きたいという方がいれば、一つだけ受けます。」

 

ポニーテールの学生が手を上げ、「麻音先生、昨夜の月を観ましたか?私、とても神秘的な感じがしました。是非「月」を詠んだものをお願いします。」とリクエストした。

学生たちの拍手を受け、麻音は、昨夜、実家で観た「瞬間的に閃光を発する月の光」を思い浮かべ、「秋風に たなびく雲の 絶え間より 漏れ出ずる月の 影のさやけさ(小倉百人一首・左京太夫顕輔)」と吟詠し教壇を下りた。

 

麻音は、授業が終わると藤原教授の研究室に戻り、講義が終わった旨の報告をした。

いつものように教授お気に入りの紅茶を入れていると、教授の友人である同大学理学部・地球環境地震学科の橋爪教授がふらりと顔をみせた。

「斎部君、橋爪教授が遊びに来た。紅茶頼むよ。斎部君もここにきて座りなさい。」と声がした。

 

麻音が紅茶を運んでくると、両教授は研究分野は違うものの、2人とも山登りが趣味で、今日も山談議で盛り上がっていた。

岐阜県・長谷村の戸台から入山し、甲斐駒ケ岳・仙丈岳に登り、そのついでに訪れた巨大断層中央構造線上の「分杭峠の氣場」に話が及び、氣場での不思議な体験談を麻音が興味津々に聞いていると、

「斎部君は、藤原教授に感化されて最近、研究室の仲間と山登りを始めたようだね。

山に登ると「元氣」をもらえていいね。山には不思議なことが多いが、斎部君は、この手の話も好きそうだね。

不思議ついでに、私の研究分野で、今でも理解できないことがいくつか有るのだが、その中でも最も不可解に思うことを、斎部君に披露しよう。」

「今から30年も前のことだが、国の中央防災会議の席上で、私は「最近の前兆地震の頻発や、富士山、阿蘇山、浅間山、焼岳等々の火山噴火に繋がるおそれのある微弱地震などから、日本列島の太平洋側の巨大地震の発生確率は89%で、大地動乱の時代を迎えている。」と説明したのだが、その後、不思議なことに、茨城県鹿島神宮付近と諏訪湖周辺で発生した震度4の地震を境に、地震はピタリと止み、計測機器のデーターも正常値に戻り、地震は収束していった。

この収束は、最先端の地震学の研究成果をもってしても解明できない実に不可解な現象であった。

また、当時は、地震が全国的に発生していたので、報道機関も地震関連記事を積極的に取り上げていてね。地元新聞には、「鹿島神宮の要石の頂部に異変。傍らに倒れる男女」という記事が掲載されていたんだよ。」

 

「ところで、斎部君は、要石について、「揺るげども よもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」という古歌を知っているかね。」

 

 

※注 この物語りは、全て大山叶の空想です。