大山叶(おおやま かなえ)の「山登りハレ日記」 -2ページ目

大山叶(おおやま かなえ)の「山登りハレ日記」

神社仏閣のある山々を巡り、山日記などを書いています。
今日も陽のひかりを浴びて山に登ります。

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第三話 鳳和31年(西暦2046年) 機内にて

 

麻音は、出発ロビーで母幸子の見送りを受けると、高徳空港発YUZ459便に搭乗した。

麻音を乗せたボーイングジェットは、定刻の午前7時15分に3号滑走路から離陸した。

麻音は、機体が安定しシートベルト着用のサインが消えると窓外に目を移した。

眼下の雲間からは淡路島が見え、朝日を受けた鳴門海峡がキラキラと輝いていた。

 

しばらくすると、キャプテンアナウンスが流れてきた。

「機長の吉岡です。おはようございます。本日もYUZ航空をご利用くださいまして誠にありがとうございます。当機は、大阪湾を左手に見てゆるやかに上昇中です。この後、巡航高度28000フィート(8000メートル)で水平飛行に移りますと、紀伊半島の最南端、潮岬上空を通過し、順次、熊野灘沖、伊勢湾、知多半島、富士山、伊豆半島、大島上空を通過して、羽田空港には午前8時25分の到着予定です。秋晴れの空の旅をお楽しみください・・・。」

 

キャプテンアナウンスが終わると麻音は、ケリーバックからモバイルを取り出し今週3コマの大学の講義スケジュールを確認し、いつものように「古事記」を読み始めた。

ボーイングジェットが潮岬上空を通過し熊野灘沖にさしかかると、麻音はいつしか眠りに落ち不思議な夢を見ていた。

辺りは静寂な漆黒の闇に包まれていた。

麻音に動揺はない。漆黒の闇の中にあって、なぜか、麻音のこころはやすらぎに満たされていた。

暫く佇んでいると、漆黒の闇の一点が開き、一すじの光が漏れだすとともに、そこから白い霧が漂いはじめた。

そして、それはまるで漆黒の闇を駆逐するかのような勢いと輝きをもって、急速に麻音に近づいてくる。

麻音が視認できる位置にまで接近してくると、それは眩いばかりの七色の輝きを放つとともに、徐々に円を描き回転しはじめた。そしてその回転する虹彩の中央にプラチナの輝きを持つ人影が現れたかと思うや否や、それは一瞬にして麻音の体を通過していった。

麻音は、この一瞬の出来事のあと、自分自身が光の一点に収縮し、漆黒の闇を貫通するトンネルの中を急上昇していく「私」を感じていた。

意識をトンネルの外に向けると、光が足下に尾を引き流れていくのを感じる。まるで光さえも追いつかないほどの速度で急上昇しているかのようである。

しばらくして、「私」の意識がトンネルを抜けると、そこはキラキラと光舞う世界であった。

至福の意識のなかで佇んでいると、突然、「ポォン」とチャイムが鳴り、現実世界に引き戻されていくのを麻音は感じた。

 

キャプテンアナウンスが始まっていた。「機長の吉岡です。本日のフライトは・・・。当機は、間もなく大島上空に入ります。羽田空港の到着予定時刻は、8時30分です。東京の天候は晴れ、気温21度。本日も・・・。」

 

※注 この物語りは、全て大山叶の空想です。

 

 

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第二話  

鳳和31年(西暦2046年) 秋の一日 

 

斎部麻音は、母、幸子の電話を受け帰省していた。

食卓には「ぼうぜの姿寿司」など、麻音の好物が並んでいた。

近くの神社からは、笛の音や鈴を鳴らす音が金木犀の芳香とともに聞えてくる。

この地方は10月ともなると、いたる所でお祭りが盛大に行われ、秋祭り一色に染まる。

麻音は、久しぶりの母の手料理に舌鼓を打ち、食後の甘酒を飲み終わると用向きを幸子に訊ねた。

「ところで、お母さん。内容を話さないで、「早く帰っておいで」って。急な用向きは何ですか?また、縁談話ではないでしょうね。私は「古事記」に夢中なんですから。お見合いは嫌ですよ。」

幸子は、穏やかな微笑みを浮かべ「麻音、解っていますよ。あなたは物心ついた頃から、なぜか「古事記」に興味を示し、以来、古事記三昧の毎日ね。幼い頃は、何度も何度も「古事記を読んで、読んで」と言っては、私を困らせたものよ・・・。ところで、大学の研究の方は進んでいるの?この間、電話で「教授に論文提出したよ。」と言っていたけど、藤原教授は良い評価をして下さった?どんな内容の研究なの?」

「うん。古事記の実在界への転写に関する研究で、「稗田阿礼と変性意識の考察」という論文名をつけたの。」

「難しそうね。」

「お母さん、そんなでもないわよ。掻い摘んで言うとね、「神様の世界での出来事やその世界の方々の思念が、私たちの住んでいる世界の発展速度に合わせて変容、転写されて、形や動きとなって出現している。」と仮定すると、「古事記」の不可思議で理解しがたい世界に整理がつき、この書物の真の意味が理解できる。」という論文の内容なの。古事記に興味を持ち始めて、四半世紀。ようやく古事記が理解できるようになってきたの。」

「ふ~ん。お母さんにはよくわからないけど・・・。それで教授は、その論文を何と?」

「うん。教授ね。こう言っていたよ。「実に面白い論文じゃ。実に面白い。斎部君、この研究を確実に、丁寧に深化していきたまえ。そして、その過程で、「暗在系と明在系」をテーマに加えたまえ。古事記と物理学の融合も視野に入る。実に面白い。」って。」

「麻音、良い評価を得て良かったね。それでは、結婚は当分、先の話だね・・・。」

 

母、幸子は、麻音の研究成果を聞き終わると、隣の客間にある神棚から白木の文箱を持ってきた。

総のついた緋色の紐を解き、蓋を開けて手紙を取り出すと、麻音の前にそっと置いた。

「お母さん、急な「用向き」って、この手紙に関係あるの?」

「そうよ。この手紙の封筒の中にはね。姉が私に宛てて書いた手紙と、ある人に託す手紙が入っているのよ。麻音、あなた自身がこの手紙を読む時期が来たのよ。・・・。」

暫し沈黙の後、麻音は、その手紙を封筒から取り出すと、「信じられない。」といった面持ちでゆっくりとかみしめるように読んでいった。

 

「妹幸子へ

このところ、日本のあちらこちらで微小地震が頻発し、不安な日々が続いておりますが、お変わりありませんか。

私は、神様のご加護を戴き、元気に「明日」を迎えることができそうです・・・・。

ところで、ここ数年、特に、呼吸が整い意識が透明になって参りますと、光とともに「声」が降りて参ります。今日も光とともに降りて参りましたので、そのことをお伝えします。

幸子は、今年二十歳を迎えましたね。数年先には素敵な男性と出会い、二人の子を授かります。上の子は女の子で、下の子は男の子です。女の子は、幼き頃から「古事記」に興味を抱き、その書物の虜となるでしょう。

私がそうであるように、女の子も役割を果たすことになるでしょう。この「うけひ」ともいうべき役割のことは、幸子に知らせることができず、残念に思いますが、久遠の昔から斎部家には、人知れず静かに引き継がれていく役割があるのです・・・・。

 女の子が、28歳を迎える秋、その子は古事記解釈の研究を通じて、役割を担う準備が整います。そのときを迎えたら、この手紙をその子に読ませてください。そして、この手紙に同封した手紙を「吉野三郎様」に手渡してください。

手紙を持ってその子が吉野様にお会いする日は、私のお役目が引き継がれる日となるでしょう。それはとりもなおさず、斎部家を真に継ぐ者の誕生でもあります・・・・。

吉野様は戸隠神社の奥社近くの池のほとりに住んでいることでしょう。家の中には大きな水晶が光輝いていることでしょう。そんな風景がこの手紙を書いている最中に浮かんで参ります・・・・。

最後になりましたが、幸子とは、・・・・・・・・・・・でした。

2012年10月30日(甲子) 姉 美裕貴」

 

 麻音は、二度三度と読み返し、深いため息をついた。

「お母さん、信じがたいことです。でも、それが真実かどうか、確かめたくなりました・・・。」

「それでは、麻音は、吉野様に会って手紙を渡してくれるのかね?」

「はい、お母さん。ところで、美裕貴伯母様は、どんな方ですか?今、どうしていらっしゃるの?」

「姉と私は八つ違いだから、一緒に遊んだ記憶はあまりないのよ。そうねぇ~。一番記憶に残っているのはね。確か、私が小学4~5年生で、姉が高校生の頃だったわ。私の母がお伊勢参りに連れて行ってくれてね。最初にお参りしたのが「伊雑宮」で、その時に姉がね。鳥居のところで「ひかりが降ってる。まるでシャワー。」と言って、一人で喜んでいたわ。私には普通の鳥居と神社にしか見えなかったけど・・・。そして、その次に向かった外宮や内宮でも同じように大喜びだったわ。私は、内宮の参拝の後、おかげ横丁でおもちゃを買ってもらい、そこで食べた「赤福」が一番うれしかったけど・・・。それとね。この神社めぐりの後、帰りがけに突然、「倭姫様が呼んでいる。」と言い出したのよ。姉はね、倭姫宮の鳥居をくぐると、まるで誰かに手招きを受けているように参道を進んで行ったわ。そしてね、お参りしているときにね。親しい人と話しているようだったわ・・・。

それでね。姉は、このお伊勢参りの旅を境に、「神道の勉強をする。」と言って大学に進学したのよ。まるで、麻音が、古事記を勉強すると言って、東都大学・歴史国文学部・国文学科に進学したみたいにね・・・。

姉は、今どうしてるかねぇ~。麻音が読んだこの手紙を最後に音信不通なのよ。姉のことだから、きっと神様のご加護を受けて元気に暮らしていると思うけど・・・。」

 

※注 登場する人物及び古事記等の記述は、全て大山叶の空想です。

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2010年に思い立ち、「ひすいの勾玉」を書き始めましたが、訳あって中断していました。

中断から10年を経て、気の向くままに続きを書いていこうと思います。

 

 

ひすいの勾玉

 

私の名前は、斎部麻音

この物語は、神武天皇からかぞえること百二十九代、鳳和天皇の御世

栄(いやさか)の千年紀を経て、瑞穂の国が大地動乱の時代を迎えようとしていたころのおはなしです。

今、私の胸元には、翡翠の勾玉がふたつ。次の代へ、そして未来のあなたに引き継ぐために・・・。

 

第一話 

鳳和32年(西暦2047年) 春の一日 

 

戸隠の古道を西へ入ったところに約束の建物はあった。

六角形をしたログハウスが1棟、カラマツの疎林に溶け込んでいる。

あたりいちめんは、若葉色の空気に包まれている。鳥のさえずりに春の謳歌を感じる。

南の玄関に向う小道のわきには、手入れの行き届いたハーブの植え込みが見える。

玄関には、「みどり」という名の看板が小さく掲げてある。大きな窓からは中の様子がはっきりと覗える。

店の中央には、高さ1メートル、直径が30センチはあろうかと思われる水晶が透明な輝きを発している。そして、この水晶を囲むようにテーブルと椅子が置かれている。ちょうど円卓の中央をくりぬいて、そこに水晶を置いた様である。

西側の暖炉の中には、小さな炎がゆらめいている。

北側と東側の跳上げ式の大きな窓からは、残雪をいただく戸隠山塊が水面に映えている。

吹き抜けの天井の中央には大きなトップライトが埋め込まれ、そこからひかりの帯が水晶に降り注いでいる。

 

店の中では、白髪の男が一人静かな時間をすごしている。

人の気配を感じたその男が玄関の先をみると、黒髪の女性が店内を覗いている。目線が合うと、男はゆっくりとロッキングチェアーから立ち上がり、玄関の引き戸を開けるような仕草をしてみせた。

長い髪を揺らし女性が店内に入ると、男は一瞬戸惑った様子であったが、「ゴールデンウィーク前なのによくいらっしゃいましたね。」と、女性を暖炉のそばに案内した。

男は、この店のメニューが「薬膳カレーとハーブティーのセット」の一品だけで、ハーブティーは、客の気分や体調に合ったものを出すことや、デザートはチーズケーキと森で採れた木いちごやサルナシの実などのジャムがあること。また、こけももの果実酒がお奨めであると告げた。

女性が薬膳カレーを注文し、少し風邪気味であることを告げると、男は「エキナセア」が風邪の引き始めに効果があるので、美肌効果のあるローズヒップとブレンドしてお出ししますよ。」と答えて店の奥に消えていった。

 

トップライトから注ぐ陽の光はまっすぐに降りて、水晶の頂部は虹の輝きをみせはじめている。

 

うっすらとマキの燃える匂いに混じってスパイシーな香りが漂い始めると、ほどなくして注文の品が運ばれてきた。

女性が会話の糸口を探すかのように「良い香り。おいしそうですね。」というと、

白髪の男はほんの少し頷くと、この女性の微笑みのえくぼに懐かしさを感じているようであった。

窓の外は、若葉色の風が時を刻んでいる。

 

女性の手には、母から託された手紙が握られていた・・・。

 

 

 

ニコニコはじめまして

大山叶(おおやま かなえ)の「山登りハレ日記」をご訪問いただきありがとうございます。

 

初めてアップします。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

富士山富士山に登りました。

 

3776m 富士山 令和3年8月27日(金)登拝 ハレ
☆ご祀神

⛩富士山本宮浅間大社頂上奥宮

 富士宮口、御殿場口を登りつめたところの山頂に鎮座

主祭神は、木花之佐久夜毘売命で、相殿神には、父神の大山祇神と背の君瓊々杵命がお祀

りされている。

⛩東北奥宮(久須志神社)

 須走口、吉田口、河口湖口の各登山道を登りつめたところの頂きに鎮座

この神社は富士山本宮浅間大社奥宮の末社、大名牟遅命、少彦名命がお祀りされている。

 

日記

最短で山頂に立てる富士宮口から入山することとした。

水ケ塚公園の駐車場に車を置く。

バス・タクシー発着所で検温と問診表のチェックを受ける。

コロナ禍登山には、自分の前後や、すれ違う登山者とのソーシャルディスタンスとマスクなどの着用が必要である。空気の薄い富士登山を考えると、この新たな登山マナーに「苦しさ」の予感がした。

 

6時00分始発のシャトルバスで富士宮口5合目(2400m)へ向かう。

いつもなら5合目に着いて、レストハウスで暫し休憩を取るが、今年は3月に発生した火災を受け、建物敷地内への立ち入りが禁止となっていた。

7時少し前、快晴の富士山を登る。登山者は、例年に比べ少ない。登山渋滞はない。

 

2490m(6合目山室)、2780m(新7合目山室)と快調に高度を上げて行ったが、3010m(元祖7合目山室)を超えた辺りから少しずつ息が上がり始めた。

いつもなら、ここを堪えて、登り続けると雑念が消え、呼吸しているだけの自分になれるのだが、着けたり外したりと、マスクに意識が集中し雑念だらけで、登拝には程遠いと感じた。我ながら、「不甲斐ない。」と思いつつ登る。

 

標高3250mの八合目まで登ると、山室の屋根超しに鳥居が見えた。

山室ベンチが空いていたので1本取ることにした。

山室で買い求めたコーラを飲み生き返る。

300円のコーラは実においしく,妙に贅沢に思えた。元氣が出たところで、8合目山室を後にした。

 

少し登ると、笠木などが失われ、柱のみが建つ旧鳥居を目にする。自然の猛威を感じつつ、天空に延びる岩塊の斜面を見上げる。ここからいよいよ神域(奥宮境内地)である。

 

真っ青な青空が奥宮へと誘う。氣を引き締め歩み出す。

見上げた先の9合目山室は近いと思うものの、喘ぎあえぎの一歩に「今日は、やめて帰ろうかなぁ~。」と、思いつつ登る。

ふと、「行者の修行は、想像を絶するものがある。」と、心の声が聞こえた。北口本宮浅間大社参道にあった角行の「立行石(たちぎょういし)」を思い出した。(角行は厳冬期に、裸でこの石に爪先立ちで30日間も荒行をした行者で、江戸時代に栄えた富士講の開祖である。)

「我慢、我慢」と言いつつ、3460m(9合目山室)、3590m(9合5勺山室)を超え、ようやくにして、無事、富士山頂上浅間大社奥宮に着いた。12時を回っていた。

 

 

早速、御祈祷をお願いすることとしたが、「前日で閉山。御祈祷は行っておりません。」と言われ、残念な思いであったが、氣をとり直してお詣りした。御朱印と御神水の「銀明水」を戴いた。


 

暫し休憩し、馬の背を登って3776m二等三角点のある剣ヶ峰の頂きに立った。

 

 

山頂は、多くの若者たちでにぎやかであった。

若者たちの感動の空気の中、私は何故か。たった一人、この頂に立ち、どこまでも真っ青で無音の空間に溶け込んでいた時のことを思い出していた。

雲に覆われ、下界の景色は望めなかったが、八神峰(剣ケ峰、白山岳(釈迦が岳)、久須志岳(薬師岳)、成就ケ岳(勢至ケ岳)、伊豆ケ岳(阿弥陀岳)、朝日岳(大日岳)、駒ヶ岳(浅間岳)、三島岳(文殊ケ岳))と大内院の景色は、いつ見ても感動するが、残念ながらこの景色を表現できない。

 

頂上で長居をしたせいか、時計を見ると、すでに13時30分を回っていた。

5合目発の帰りのバスを午後4時と決めていたので、お八(鉢)巡りは来年と決め、下山することとした。下山時、中国人?と思われる作業員の方が、お道化てスコップを尻に敷き、馬の背を下って行くのを見て、心が和んだ。

 

富士山下山後に感じること。

疲労感は無い。

富士山は、体の深いところからフツフツと湧き上がる「何かを感じさせてくれる。」山である。

「来年も来るように」と言われたような氣がした。