アンシエッタの創作ページ

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イエズス会神父アンシエッタが目にしたこと、感じたことを小説の形で書き綴っていきます。

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                  第10章

「あっ、眩しい...」
 正午の日差しが、青年に容赦なく降り注いだ。
「でも、暖かいなあ...。この間、体を駆け巡っていた悪寒が嘘のようだ...」
 不治の病を患っているにも拘らず、軽い足取りで石畳の大通りを歩いて行く。通りで行き交う人々は心なしか、「ホッ」としたような安堵感を漂わせている。通りは緩い上り坂になっているのに、咳き込むこともなく、中途で足を止める必要もなかった。
「何とも清々しい気分だ...」
 自分の前を通り過ぎて行く人々は、軽くこちらに会釈する。一体、どうしたことか? あっ、そうか! この服のせいだな...。でも、僕自身、それらの会釈に対して、微笑みで応じているのには驚いた。何ということだ! あれほど世の中に対して、社会に対して、人々に対して仇のごとき憎悪の眼差しを向けて、それら全てを呪詛していたというのに...。
「何とも、驚きだ!...」つい、口から言葉が漏れた。
 やがて眼前に、視界を圧するがごとくモニュメンタルな存在、大聖堂の伽藍が目に飛び込んで来た。こう威圧するかのように、人間を睥睨するがごとく聳え立つ塔、そしてまた塔...。自然と頭が下がる思いで、その巨大建造物に静々と近づいて行った。
 大聖堂の前の広場では、大勢の種々雑多な生き物で溢れ返っていた。ものを売る者たち、買い物かごを担ぐお手伝いたち、赤子を抱える乳母、鎖で繋がれた黒人奴隷たち、病気なのか毛が全て抜け落ちたガリガリに痩せた野良犬がここ、あそこに、ツバ付き帽子を持ち上げ挨拶を交わす紳士たち、裾を少し引き上げ腰を屈めて、それに応える淑女たち、彼らの馬車への乗り降りを助ける御者たち、疲弊した馬たち...。まさにそこは、富める者たちから貧しき者たちが混ざり合い、カオス的様相を呈していた。
「あの女性はどこだ...。こんなに沢山の人がいては、見つけるのは難しい...」
 青年は数日前、乞食女を見かけた、あの場所、大聖堂のファサードの方へと歩を進めて行った。そこにも、色々な身なりの人々が群れ、立ち話をしていた。
「旦那...、どうぞ、お恵みを...。この子の為にも...」
 あっ、あの声は...! 青年はその声がする方へと視線をキョロキョロと走らせた。その声の主は一体、どこから...。あっ! うら若き、ボロを身に纏った少女が、赤子を胸にかき抱き、自分の目の前に立っているではないか。
「神父様、どうか...、どうか、お願い致します...。私共はもう3日も何も食べていないのです...。ですから、この我が娘に与えるお乳も出ません...。どうか...、どうか...」
 その幼い乞食女はそう言うと、ヘタヘタと地面に座り込んでしまった。赤子はそんな母親の気苦労も知らず、すやすやと寝息をたてて眠っている。まさに天使だ! 青年は優しく、慈しむように、女の両肩に手を置くと、口を開いた。
「さあ、もう心配はいらない。ここにお弁当があるから、お腹いっぱい食べなさい。いやいや、私はもう済ませてあるから、遠慮はいらない。でも、私のことを気遣ってくれて、ありがとう。さあ、あっちのベンチに行って座ろう。お話をしながら食べた方が、もっと美味しくなるから...」
 青年はその女の片手を握り、立ち上がるのを助けた。何とも氷のように冷たく、痩せ細った手だろう...。そして、日溜まりの空いているベンチへと手を引き、誘って行った。
                    第9章

 その同じ日、朝食を、いやまだ食事といえるものは口にできなかったが、何とか緑色のドロドロの液体を無理矢理、喉に流し込んで、ホッと一息ついた時、僕は一つ心に気にかかっているものがある、ということを発見した。
 ああ、一つだけやっておかなければ、そう一つだけ行っておかなければならない場所がある。僕は昼食の準備をしているロウレンソ修道士を呼んだ。
「はい! ちょっと待ってくださいね...」
 エプロン姿の修道士が、台所と部屋を分かつ扉から、赤らむ顔を覗かせた。
「すみませんが、少し体を動かそうと思いまして...。少しばかり外の空気が吸いたいなあと...」
「ああ、そうですか。それは良い考えです。そのようにお考えでしたら、昼食はお弁当になさったらいかがでしょうか? 早速、そのように準備しますので、今しばらくお待ちください」
「ああ...、申し訳ありませんが、どうぞお願いします」
「ところで、あなたのお召し物は、そのテーブルの上に準備してありますので、どうぞ。もし、着られないようでしたら、私に一声おかけください」
 修道士は軽い足取りで、そそくさと台所へと消えて行った。僕はベッドからヨロヨロと立ち上がると、自分の服があるであろうテーブルへと近づいて行った。そして、それを目にした途端、「あっ!」と、驚嘆の声を上げた。何と、これは...。その時、扉のところで声がした。
「お気に入り召されたでしょうか?」
 声の方を見やると、青年修道士が大きな弁当の包みを抱えて、こちらに満面の笑みを浮かべて立っているではないか。
「これは、あなたの...。大切な...、大切な...。こんなこと...」
「いやいや、それはあなたの為に、私自身、今まで取っておいたものなのです。ですから、全てあなたのものです。神からの贈り物だと考えられては、いかがでしょうか」
 相変わらず継ぎ接ぎだらけの僧服を身に纏っているロウレンソ修道士は、はにかみ顔で、頭をゴシゴシと掻きながら、一気にそう言った。
「ありがとうございます...。どれだけお礼を言ったら良いものやら...。ありがとう...、ありがとうございます...」
「さっ、その新しい衣装に袖を通すのをお手伝いします。少しばかり身に付けるのにコツが要りますから。私も最初は苦労しましたよ。全く...。師にいつも、「いつまで経っても、お前は半人前だ」と、母親の小言のように繰り返し、叱られましたから」
「どうぞ、お願い致します...」
 僕と修道士。つまり二人の青年は、涙で目を濡らしながら、笑顔で抱き合った。
                   第8章

 「アーメン」、その言葉を口にした途端、なぜだか分からないが、再び深い眠り落ちて行った。そう、何かこう温かい母の体に抱かれるような感覚の中へと引きづり込まれて行ったのである。6日6晩眠り続け、ロウレンソ修道士がいくら呼びかけても、全くピクリとも動かなかったということである。
 その日、鳥の甲高いさえずりで目が覚めた。鎧戸の隙間から、朝の光が差し込み、石床に窓の模様を映し出している。台所の方から、何やらゴソゴソとくぐもった音と共に、人の気配がする。野菜をコトコトと煮込む時に発する、甘い香りが鼻腔をくすぐった。「グーッ」と、お腹が鳴った。
「ああ、お腹が...空い...た...」
 しかし、僕はどれだけ眠り続けたのだろう。一晩中か、あるいは二日か? 体中が強張って痛い...。特に背中は、少しでも力を入れようものなら、ギシギシと軋み、ジーンと痺れるような痺れを感じる。まるで、自分の体とは思えない...。
 少しずつだが、朝日の照射する角度が変わり、部屋は明るくなって行った。漆喰の壁に、あの奇妙な模様を描く染みが朝日に照らされ、その全貌を徐々に明らかになりつつあった。あれは、もしかしたら“聖杯”の形に似てはいまいか...。まさにそう考えた瞬間だった。
「ああ、ジョゼさん、おはようございます!」
「ああー、...あなたは...」
 まるで言葉を知らない赤子のように、言葉を何とか継ぎたいと思うのだが、何とも舌が回らなかった。
「もうダメかと思いましたよ...。神の御胸に抱かれて、行ってしまうのではないかと...」
「では...僕は...。ずっと...、眠って...いたのです...か...?」
 言葉がスムーズに出ず、何とももどかしい。
「ええ、ええー! もうかれこれ6日間、昏々とお眠りでしたよ。本当に私自身、とても心配で、心配でなりませんでした...」
 ロウレンソ修道士の瞳は涙で潤んでいた。口許には何とか笑みを浮かべようと努力するのだが、それも叶わず、ヒクヒクと痙攣している。
「申し訳...あり...ませんでした...。どうも、...ありがとう...ございます...」
「いえいえ、私は何もやっていませんよ。ただ、見守っていただけで...。あなたが今のように回復なさったのは、ひとえに神の御意思です。それを私たちそれぞれが確認し合う意味でも、この言葉を私と一緒に唱えましょう...。アーメン」
「アーメン...。どうも、ありがとう...ございます...」
 何ということだろう...。かつての僕が、最も忌み嫌い、バカにしていた言葉、そう「何て他力本願な輩で、負け犬が吐く言葉だ!」と思い込み、憎悪していた言葉が、自然に、それも自らの意志とは関係なく、口からこぼれ落ちるとは...。
「さあ、さあ、お腹がお空きでしょう...。いやいや、体を起こす必要はありません。私がここまでお運びしますから。いえいえ、大丈夫ですよ」
 修道士は枕を立てると、女性を労るかのように、僕の上半身をそれにもたせかけてくれた。
 台所へと吸い込まれて行くロウレンソ修道士の後ろ姿は、心なしか震えていた。一粒の滴が石床に落ち、とても、とても小さな染みができるのを、僕は見逃さなかった。その染みは乾くことなく、朝日を受けてキラキラと輝いている。僕はそれを見て、瞼からこぼれ落ちる涙を押し止めることがでできなかった。
                   第7章

 「もしもし...。もしもしっ!」
 ハッと我に返った。ここはどこだ...。徐々にだが、目の前が明るくなり、周りのものが形を成し始める。自分はベッドの上にいた。今まで寝たこともない堅いベッドだった。近くの暖炉には、真っ赤に火が熾り、時々、パチッ、パチッと乾いた音を立てて火花がはぜた。外は、未だ雨が降り続いている。そこは、頭板の上には木製の小さな十字架、粗末なテーブルと椅子が2脚、それに窓際には小さな樅の木の鉢植えが一つ切りという、きわめて質素な佇まいであった。暖かい...。でも、一体、ここはどこなのか..。オレは草原に居て、木の幹に寄り掛かるように座った少年が一人...。
 見慣れない顔の男が口を開いた。
「ジョゼさん、大丈夫ですか...。酷くうなされていたようで...」
「なぜ、私の名を...?」
「いや、先ほど、少し薄目を開けられた時に、お名前を尋ねましたところ、“ジョゼ”だと、お答えになられましたから...」
「あなたは一体...」
「私をお忘れですか? 先ほど、お会いしましたが」
 全く、見覚えがない...。一体、奴は何者なのか...? オレより若いということは確実だ。所々にまだ、幼さの痕跡が残っているのだから。その男から目を逸らし、疑問に対する答えが何かないか、部屋の中に視線を走らせた。あそこの椅子に掛けられている使い古された黒いローブは...。その男の口許には、穏やかな微笑みがたたえられている...。そうか!
「あなたは、あの時の...」
「まだ、あれから二時間程しか経っていませんよ。お具合はいかがですか?」
「ええ、大丈夫...。大丈夫そうです...」
「あなたに仰った通り、あなたは神の御祝福を受けられたようですね。もう少し遅かったら、「手遅れになっていた」と、医者が申しておりましたから」
「では、あなたが僕を...」
「いや、私ではなく、赤子を抱いた一人のご婦人が、気を失っていらっしゃったあなたを助け上げ、馬車を呼んで、ここまで運んで来てくださったのです」
「ええ! まさか...」
「いや、本当です。ここまで付き添って来られましたが、あなたをベッドに横たわらせると、名前すら名乗らず、行っておしまいになられました」
「どこへ...?」
「いや、存知上げません。何も仰られませんでしたから。ただ、あなたと近い関係にある者だ、と仰られていましたが...」
 あの乞食女だ...。オレを助けて、ここまで運んで来てくれたのが、あの人々から蔑まれて生きている、あの女だというのか。信じられない...。あのような白痴同然の女に、果たして今回のような機転が発揮できようとは...。まさか...。
 枕元のテーブルの上の花瓶には、白い百合の花が一輪生けられている。そして、その花弁から発する甘く強い芳香が部屋中を満たしていた。
 オレは意識が無くなる寸前に確か、「お母さん...」と、口にしたことをおぼろげながら覚えている。では、オレはあの見るからに薄汚れていて、不潔の、みすぼらしい女を、「お母さん」と、呼んだということなのか...。
「ところで、あなたのお名前は?」
「イエズス会修道士、ロウレンソと申します」
「では、ロウレンソ神父様で...」
「いいえ、まだ見習い修道士の身に過ぎません。あなたは神の深き慈愛を受けられ、お命が救われたのですよ。祝福されし者よ、あなたの為にお祈りさせてください...。...アーメン」
「...アーメン」
 青年は知らず知らずの内に、「アーメン」、“神の御意思のまにまにに”という意味の言葉を復唱していた。
                    第6章

 見渡す限り、草原が広がっていた。緑色の、それも目の覚めるような緑色の草々は、そよ風を受けて、軽やかにお辞儀をしている。一陣の風が吹き抜ける度にそれらは、まるで連鎖的にウエーブが起こるかのようにしなやか、かつリズミカルにダンスを繰り返す。遠くに一本の大樹が見える。その樹の根元に腰を下ろし、幹に背をあずけ、両足を前に投げ出し、年季の入った革張りの本のページを繰っているのは誰? 細面の青白い顔で、口許には微かな笑みがはかれている。爪先で足許に咲く白いマーガレットの花を弄んでいる。どこか見覚えのある奴だ。でも、それが誰なのか思い出せない。一体、誰なのか...。
 その少年はこちらの気配を察してか、ふっと本のページから目を上げた。そして、こちらに向かって手を振った。しかし、実際に手を振ったかどうか分からない。そうしたように思えたのだ。やがて少年は大儀そうに立ち上がり、お尻の土を払い、本を脇に抱えると、こちらに向かってゆっくりとした足取りで近づいて来た。確かに見覚えがある。しかし...。徐々にオレと少年を分かつ距離が縮まって来た。あの眼差し...、あの口許の微笑み...。どこかで...、きっとどこかで...。次第に少年の顔の輪郭がはっきりと像を結んで来た。まさか、あれは...。少年との距離が半歩にも満たなくなった、その時のことである。オレは無意識の内に、「ジョゼ」と、口走っていた。そう、その少年こそ、自分自身であったのである。少年は自分の名前を耳にしても、まったく動ぜず、無反応だった。目の端でさえ、オレを見なかった。前方を睨んだまま、オレの真横をすっと通り過ぎて行った。オレは振り返りざま、叫んだ。
「ジョゼーーー!」