<東日本大震災>またマウンドに…津波から14歳生還 宮城
毎日新聞 [4/8 11:02]
津波に流されて痛めた足の感覚が戻り、新しい学校での部活動再開を心待ちにする菊地喜彦さん=宮城県亘理町で2011年4月5日、丹野恒一撮影
「なぜ僕だけが助かったのだろう」。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理町荒浜地区で、住民らを次々にのみ込んでいった津波から奇跡的に生還した少年がいる。しがみついた車や家具から投げ出されては次の漂流物がそばに流れてくる偶然の連続。力尽きて冷たい水に沈んでいった多くの人々に思いをはせながら、少年はもう一度立ち上がろうとしている。
町立荒浜中3年の菊地喜彦さん(14)は地震発生後、祖母とく子さん(73)と隣人の車で逃げようとした時に津波に襲われた。恐怖で体がこわばり動けなくなったとく子さんに「逃げないと危ないよ」と声をかけながら、車を出た瞬間、足をすくわれた。
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流れてきた車に夢中でつかまったが、別の車と衝突した衝撃で投げ出され、水を飲んでおぼれそうになりながら、浮かんでいたソファにつかまり、最後は沈みかけの軽トラックの屋根に上った。
闇が迫るなか、幼稚園児を抱いたお母さんら数人が近くにいるのがわかった。ヘリが飛来し、みんなで「助けて」「ここだ」と叫んだが気付いてくれない。ふと周りを見ると、動かなくなった大勢の人たちが流れていた。聞こえていた声も次第に弱々しくなり、最後は独りぼっちになった。
「寒さで気絶したようだ」。目が覚めると夜が明けていた。足の感覚はなく、動けない。ヘリが飛び回っていたが、近くには降りてこない。
≫
絶望のなかで2晩目が迫ったころ、「大丈夫か」という声とともに自衛隊のボートが近付いてきた。
救助後の診断の結果、足の神経を傷めており、避難所では2週間余り松葉づえをついていた。両親と兄は、仕事先などにいて無事だったが、とく子さんは遺体で見つかった。今も津波の写真や映像を見ると「一緒に流されて亡くなった人たちを思い出して胸が苦しくなる」。
野球部のエースだが、校舎も被災したため新学期からは隣接校に通う。気持ちを抑えられず、数日前から避難所のグラウンドでキャッチボールを始めた。「体力には自信があったが、生死を分けたのは運だと思う。
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助からなかったかもしれない命なので精いっぱい生きて、新しい学校でも再びマウンドに立ちたい」と決意を固めている。【丹野恒一】
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毎日新聞 [4/8 11:02]
津波に流されて痛めた足の感覚が戻り、新しい学校での部活動再開を心待ちにする菊地喜彦さん=宮城県亘理町で2011年4月5日、丹野恒一撮影
「なぜ僕だけが助かったのだろう」。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理町荒浜地区で、住民らを次々にのみ込んでいった津波から奇跡的に生還した少年がいる。しがみついた車や家具から投げ出されては次の漂流物がそばに流れてくる偶然の連続。力尽きて冷たい水に沈んでいった多くの人々に思いをはせながら、少年はもう一度立ち上がろうとしている。
町立荒浜中3年の菊地喜彦さん(14)は地震発生後、祖母とく子さん(73)と隣人の車で逃げようとした時に津波に襲われた。恐怖で体がこわばり動けなくなったとく子さんに「逃げないと危ないよ」と声をかけながら、車を出た瞬間、足をすくわれた。
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流れてきた車に夢中でつかまったが、別の車と衝突した衝撃で投げ出され、水を飲んでおぼれそうになりながら、浮かんでいたソファにつかまり、最後は沈みかけの軽トラックの屋根に上った。
闇が迫るなか、幼稚園児を抱いたお母さんら数人が近くにいるのがわかった。ヘリが飛来し、みんなで「助けて」「ここだ」と叫んだが気付いてくれない。ふと周りを見ると、動かなくなった大勢の人たちが流れていた。聞こえていた声も次第に弱々しくなり、最後は独りぼっちになった。
「寒さで気絶したようだ」。目が覚めると夜が明けていた。足の感覚はなく、動けない。ヘリが飛び回っていたが、近くには降りてこない。
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絶望のなかで2晩目が迫ったころ、「大丈夫か」という声とともに自衛隊のボートが近付いてきた。
救助後の診断の結果、足の神経を傷めており、避難所では2週間余り松葉づえをついていた。両親と兄は、仕事先などにいて無事だったが、とく子さんは遺体で見つかった。今も津波の写真や映像を見ると「一緒に流されて亡くなった人たちを思い出して胸が苦しくなる」。
野球部のエースだが、校舎も被災したため新学期からは隣接校に通う。気持ちを抑えられず、数日前から避難所のグラウンドでキャッチボールを始めた。「体力には自信があったが、生死を分けたのは運だと思う。
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助からなかったかもしれない命なので精いっぱい生きて、新しい学校でも再びマウンドに立ちたい」と決意を固めている。【丹野恒一】
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