3・11
本当に毎年
TVをつけると倒れそうになる。
思い出したくない。
あの時、お腹には赤ちゃんがいて
ヨガスタジオ2軒と生まれてくる赤ちゃんのために作ったナチュラルカフェの運営に追われていた。
そして
障害者を産むかもしれないという大きな壁に直面していた。
そして
3・11
我が子は男の子とわかりひとけのない公園で
友人に電話し、溢れ出す涙にひたすら泣いた。
男の子だった現実。
2週間以内に赤ちゃんをどうするかを決めなければならないタイムリミットを与えられた。
赤ちゃんは法律上
22週までしか堕胎はできない。
中絶?
そんなもんじゃい。
蹴られる胎動を感じるお腹の赤ちゃんを
陣痛促進剤を使い
早産する。
公園でどうして良いか分からず震えた。
その判断は
誰でもなく
産む私しか決められない。
命の選別なんてそんな大きな判断
2週間でできるわけない。
しかし、
状況は変わった。
この3・11
放射能というものから逃げてきた
疎開者をカフェで雇い始めた。
遠く離れたこの熊本からさえ水が消えていった。
幼い子供を抱えて疎開してくる人々。
熊本には疎開村ができた。
より安全な場所へ。
子供を守りたい。
そんな人々を目にし
目の前から水がなくなり
医師からは検査の方法はもうない。
と告げられ
頭の中の張り詰めていた細い線が
プツリと切れた。
「私、堕胎します。」
3・11からの日々の記憶はない。
他の妊婦と同じように
産科へ入院し
夜中
陣痛促進剤と海面棒を増やしてゆく作業が始まった。
陣痛と悲しみに襲われる夜中
朝方、分娩台へと場所が移動し
普通分娩が始まった。
押し寄せる陣痛の波
静まる陣痛に疲労感と悲しみ。
何度も何度もそれを繰り返し
朝方、私はとても小さな男の子を出産した。
そして
医師は臍の緒を切る際
「わかってるね。」
そう私に言葉をかけた。
私は涙を流しながら頷いた。
臍の緒を切り
我が子を死産させた。
長い分娩を経て
ひとりぼっちの
部屋に戻ると
フルコースのご飯が来た。
嬉しくも何ともないけど
お腹が減っていて
味がしないフルコースを完食した。
翌朝、私は
靴箱ほどの白い箱を渡された。
我が子の亡骸だ。
開けたかったけど
看護師から皮膚が完全に形成されてないから
開けてみようなんて思わないでくださいと止めれ
自宅へ連れて帰った。
その夜は
1人
いや
2人で過ごした。
亡骸と。
翌朝、喪服を着て
両親の待つ実家へ行き
白い箱をもち両親と
小さな小さな葬儀をした。
お経が全く耳に入らない。
なぜ、こんなことに。
私の判断は間違いだったのか。
なぜ、こんな生い立ちなんだ。
どうして。
どうして。
火葬場で骨を拾おうとしたけれど
何も残っていなかった。
探してきた赤ちゃん用の骨壷
それに骨を拾いたかったけど
何も残っていなかった。
そんなその日は
父の誕生日。
お祝いなんてできるはずもない。
あれから10年。
生きていたら10歳なんだろう。
次に私のお腹に来てくれた
次男
彼も男の子とわかった時
もう、本当に
どうして良いかわからなかった。
なぜ、こんな
遺伝病をもった家庭にうまれてきたんだ。
どうしてわたしだけ。
なぜ、女の子じゃないんだ。
どうして運命はわたしに味方してくれないんだ。
普通に産まれたかった。
次男は現在6歳。
健常者。
彼はわたしに言った
「僕はママのお腹に来たのは2回目だよ。」
と。
わたしは
ハッとした。
あの時、私が堕胎した男の子の魂と
この子は
一緒なのかもしれない。
今でも忘れることはない。
長男のことを。
だけど
3・11に直接被災したわけではないけれど
わたしもまた
間接的な被災者なのだ。
あの時、福島の震災が無ければ
私は無事に産んでいたかもしれない。
世の中の不安に呑み込まれ
自分を見失ってしまった
あの時
世界が平穏であったなら
私は
2つのヨガスタジオと
ナチュラルカフェをそのまま残して
頑張っていたのかもしれない。
私は
お腹にいた赤ちゃんがいなくなって
カフェに対する情熱が消えた。
2千万もかけたのに
赤ちゃんと一緒に
引いた線路が消えた。
今の現実
私は幸せだ。
次男と共に幸せな日々を過ごしている。
だからこそ
3・11の報道を見ると
心が揺らぐ。
忘れてはいけないことだけど
忘れたいことでもある。
その後、自らも
熊本地震で被災した。
1歳の次男と2人で生き延びたけど
死んでしまいたいと何度も考えた。
生きていくとは
辛いとこの山を越えなければならない。
大きな山を越えたって
またすぐに
違う山がやってくる。
それでもね
生きていなかければならないんだ。
小さい幸せをかき集めて
自分で大きな幸せにしていかなければならない。
勇気を待て
前を見ろ
先に進め
大事なものは何か?
優先順位は?
愛する者を救え!
誰も見捨てるな!
そう
自分に言い聞かせる。
大丈夫。
登らない太陽は
絶対ない。
いつかきっと朝が来る。
#311を忘れない
#311
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