菊池桃子さんの長女のこと。 | 熊本ヨガ講師 RYOのYOGA的美人道

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外側を磨くことから内面を磨くことに変わり
女性のため、新しい命のために
指導するヨガの講師となりました。

 菊池は1996年に長男を出産後、長女出産の前に障害を持つ可能性があった子を死産していたことを初告白。「子供が病気を持ったならば、お母さんとして闘おうとと考えた時期があった」といい、その後に誕生した長女が生後7ヶ月のとき、左の手足に障害があることが判明したが、「私がサポートしていこう。泣いている場合じゃない」と決意したことを振り返った。

 幼稚園に入る頃には普通に歩けるようになっていた長女だったが、小学校に入学すると「なんでみんなと同じようにできないんだ」と他の子との差を感じ、それが影響してたびたび過呼吸や円形脱毛症になっていたという。これ以上傷つけないため、娘にあった学校探しを始めたが「就学相談に乗ってくれる場所が住んでいた自治体に少なく、障害を持った子の教育相談の場所が確立できていない」と問題提起をした。

 そういった社会構造への疑問を持ったことをきっかけに、障害を持つ人や心に病を抱える人たちの雇用に興味を持った菊池は、勉強の必要性を感じて40歳で大学院に入学。卒業後は大学の客員教授に就任、さらに今年は1億総活躍国民会議民間議員に起用されるなど、社会に対しての活動を行っている。

 これまでは「芸能人はイメージが大事なので、隠さなきゃ」と考えていたが、「娘が一生懸命生きている姿を見たら、隠していることが同じ人間として娘に失礼に思えて」と、公表に至った理由を明かした。


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私は家族の障害のことをずっと隠してきた。
自分の価値が下がると思っていたから。
それは多々受けてきたイジメや批判や周りからの目や言葉から逃げたかったから。

でも、おっしゃるとおり。
一生懸命生きている姿を見たとき
自分の小ささに泣けてきた。
胎児のエコーを見ながら何回も泣いた。
胎動を感じながら何度も悔やんだ。
自分が生きていることに。

その結果
死産させた。

もう、二度とあんな出産をしたくない。
泣きながら叫びながら
陣痛に耐えて
生まれた子の息をとめる。

障害がある子を産むということ。
社会的に保護される事はその障害によるけど
全くない場合もある。
現にそんな状態を経験してきた。

もっと一般的に知らない事を学ばなければ
役所にしつこく聞き
なにをこの子にできるのか調べなきゃ。
もっとわかりやすくなればいいのに。

聞かないと教えてくれないし
なにを聞いていいかも全くわからない。

悔しい。