友人から封書が届いた。

玄関で開けると、今年の夏の北海道で開催される写真展の案内だった。


星野道夫「悠久の時を旅する」


そのパンフレットの写真とタイトルを暫く見つめていた。


写真は、もう誰も何も言えないほどに当然素晴らしい。


タイトルだ。


そのタイトルをみて、「私は知らず知らずのうちにドップリと星野道夫に感化されてきたのだな、」と感じた。


 この夏に星野道夫の写真展が北海道で開催されることは、星野道夫事務所にいる友人から聞いていた。


「宣伝してね。」とも言われてもいた。


宣伝するにも、私には力がない。


星野道夫の写真展である。


私の力は関係ない。


黙っていても人は来る。


 分厚い封書を手にして、星野道夫事務所の封筒を見つめる。


「悠久の時を旅する」のタイトル。


自分でも気が付かない程に感化されていたのだ。


ここで悠久を使うとはね。


このタイトルをつけたのは、星野道夫ではない。


当たり前だ。


多分、星野道夫の事務所の人たちなのだろう。


毎日、星野道夫の写真に囲まれ、書物を目にしてドップリとその世界にはまった人たちだ。


このタイトルが決まったのは昨年だろう。


当然、告知前だ。


私がNPO法人の名前を決めたのは昨年初めか、一昨年年末だ。


特定非営利活動法人「悠久の森」


感性が似ているのか、ドップリ感化されているのか。


どちらも当てはまるが後者だろうな、とパンフレットを眺めつつ感じた。


真似したわけではない。


タイトルなんて知らなかったからね。


 星野道夫の存在を知ったのが初めてアラスカを旅したときだった。


今から34年前、若かりし頃のワタシ。


完全にあの広大な大地に圧倒され押し潰され、85リットルのザックを背負い半べそをかきつつ氷雨の中で山を歩いたときを思い出した。


その時、心を救ってくれた人がいた。


アラスカの帰りに友人に頼まれていたヒグマの写真集を本屋で手にした。


その写真集の最後に、声をかけてくれた人の顔写真があった。


本の世界と本人のギャップ、それも魅力だったのかもしれない。


これが俗に言う、男が男に惚れた、というものだろう。


そこから私は星野道夫にハマった。


 カムチャツカ半島クルリ湖畔でヒグマに襲われ亡くなったと聞いたのは、チャリダーでクッチャラ湖畔和琴半島だ。  


テントで連泊していた時だった。


あまりのショックで更に数日間停滞した。


全てが、遠い昔のこと。


 以前の星野道夫さんの没後20年の写真展のタイトルは「星のような物語」だったと思う。


そのタイトルをみて「星野道夫本人なら、絶対につけないタイトルだ。」と思った。


それを星野道夫事務所の友人に話した。


「事務所の人達がつけたから。直子さんではないよ。」と言われた。


その時生意気にも「星野道夫のことを全く理解していないな。」と思ってしまった。


そんなことまで思い出してしまったな。


 1999年から再び私がアラスカに足繁く通い始めて時折出会う日本人は皆、星野道夫の本をバイブルに持っていた。


大半が「旅をする木」だったと思う。


私はアラスカの旅には星野さんの本も植村直己さんの本も新田次郎さんの「アラスカ物語」も持ってはいかない。


好きで読んではいたが、自分の旅をするのに必要はなかった。


 ある時、2000年代になってから一冊の本が私に回ってきた。


旅をする木。


そこに一本横線が書かれており、旅をする本となっていた。


確か日本人から宿屋で手渡されたと思う。


もう読んだし、日本にある、と言ってもどこかで誰かに渡してほしい、と言われた。


仕方無しに本を受け取る。


確か本の裏の方に手にした人のサインが書かれていたように思う。


私が何人目かははっきりと記憶していない。


10人前後の人のサインが書かれていたように記憶する。


旅をする本。


私はその本をザックにしまい、そのまま忘れてしまっていた。


日本に帰り、その本が東京の友人の家でてきた。


タイへ行く前だったと思う。


そのまま他の本とともにザックに詰め込んでタイに持って行った。


その後、カンボジア、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、タイと移動した。


記憶が曖昧になっている。


私はサインもせずにゲストハウスの本棚に置いてきたか、もしかしたら、誰かに手渡しをしたのかもしれない。


 数年後、その本の話を知り合いのデレクターから聞いた。


旅をする本。


その後、放送協会のテレビの番組になったはずだ。


私はテレビがないのでよくわからない。


そのデレクターが旅をする本の話をしてきたので、その本を思い出したが、言われるまですっかり忘れていた。


「ああ、俺のところにも回ってきたな。」程度の記憶。


その後記憶をめくってみる。


全てあやふや。


 家に届いた封書から、忘れ去られていく記憶が甦る。


遥か遠い昔の出来事。


私の中で風化していく物語。


 パンフレットの配布は、私よりも顔の広いヒチャのほうが良い。


私は近々、黒岳ロープウェイと黒岳の湯あたりに配布してくるつもりだ。


何とも力のない私。


 星野道夫写真展「悠久の時を旅する」


この夏帯広にやってきます。


ヒチャとたいちを連れてキャンプをしつつ、写真展を見に行こう。


久しぶりの十勝である。


もう何年も訪れていないな。


そして、友人と再会するのだ。