5月に入り、久々に気持ちの良い朝を迎えた。


快晴の早朝は頭の中も心もスーッとする。


長々と愚図ついた天気が続いていたので、本当にようやくと言う感じがする。


そして、我が家の周辺の雪も今日で消えるだろう。


雪が消えると、草のない大地が顔をだす。


すると、嫌なものが目に入る。


ゴミである。


都会も田舎も雪が消えると、ゴミが出てくる。


夏場にはここまで気にならないが、草も葉もない初春にはゴミがやたらと目立つ。


本当に日本人はマナーが良いのだろうか?と思ってしまう。


何せ、田舎は人は少いがゴミが多い。



     ゴミと言えば、サッカーワールドカップの日本人サポーター達だろう。


サッカーのワールドカップで、試合終了後に日本人サポーター達がゴミを拾って清掃していると毎回話題になる。


自国の田舎を汚す人々も日本人である。


同じ国民性には思えない。


 

     でも、あのゴミ拾いも、やり始めるともうこの先ずっと、やらなくてはならないだろうな。


日本人は、自分達で自分達の見えない決まりをいつの間にか作ってしまう。


(もう、当たり前のようにドンドン作るからドンドン縛られて、身動きできなくなる。


そして、私は逃げるのだ❗️)


それに反すると非国民と見なされ、強烈に避難罵倒される。


そこが日本人の一番良くないところだと思う。


人は人。自分は自分と言う感覚が薄く、いつも仲間と共感したいと言う気持ちが強いのも日本人の特性なのだろう。


    あのサッカーワールドカップのゴミを拾う日本人サポーターの中にもやりたくない人もいるだろう。


周りがやっているので、仕方なくやっている人。


やることが当たり前と思って、何も抵抗なく行っている人。


やっている自分に酔いしれて、「俺は良いことをしているのだ❗️日本人のマナーの良さを世界に知らしめるのだ❗️」と思ってやっている方もいるだろう。


テレビに映るチャンスでもある。


周りがやっていても、やらない日本人もいるかもしれない。


私は間違いなくあの場でゴミは拾わない。


自分のゴミは当然自分で処理する。


であれば、拾う必要がない。


試合の後は、清掃業者が清掃する。



    大切なのは、人のいない見ていない所でゴミ捨てずに、ゴミを拾うことが出来るかである。


見られている所、話題になる所でゴミを拾うのも良いが、習慣化されて当たり前の風景となるのが怖い。


そして、やらない日本人を見下し、ボロクソに避難する名古屋人的国民性が怖い。



     おっと❗️我が家の敷地内もゴミである。


多いどころではない。


歴代の50年生活していた方々のゴミが至るところに形を変えてある。


10数本の古タイヤは、庭の花壇となっていた。


何10本ものビール瓶も花壇の段差となって土に埋まっていた。


木材や配管の廃材が山積みとなり、古電柱までが何本もある。


古いアンテナが転がり、数多くの自転車と植木鉢で溢れる。


ロープが埋められている。


石が好きな方が集めた石が散乱している。


トタンがあちらこちらに積まれており、タンスだらけである。


「あー!」と鼻から声が出る。


燃えないゴミをゴミ処理場へ持ち込むこと毎月2回。


累計5トンほど廃棄した。


人のゴミを自腹で処理するのはあまり気持ちの良いものではない。


それに加えて、不法投棄されたものも含まれる。


車を人に譲るときは、私物やゴミもそのままにするだろうか?


なぜ、田舎の古い家だけは家財道具もゴミもそのままにして人に貸すのだろうか?


「嫌なら借りなければ良い。」そう思うのは都会の方々なのだ。


田舎は思ったよりも賃貸物件がないのだ。


仕方なく、借りて見ないようにする。


しかし、見ないようにすることのできない私は処理する。


もう、本当に自分の性格が嫌いになる。


でもね、自分の住む家の周辺が綺麗になるのは気持ちが良い、


新しい土地を見ると、どうやって美しくしてしまおうか?と瞬時に頭を働かせる習性がある。


そして、完成図が頭に浮かぶ。


「もうね、こういう性格だから、諦めるしかないのだ。」


田舎に住みたい方は、私の後に入るとゴミはかなり少ないと思いますよ。