冬至だ。
 
 北海道では甘く煮た小豆にカボチャを入れて食べるか、お汁粉(ゼンザイ)にカボチャを入れて食べるのが習慣である。

冬至とは、各地でそれぞれの風習があるようだ。

東北も北海道と同じらしい。

いや、正確に言うと北海道が東北の風習を真似たのだろう。

私は大好きだが、関東生まれの江戸育ちの私の叔母は、昔々、江戸で同じ職場の北海道出身の人から、カボチャ入りゼンザイを貰ったらしい。

容器の蓋を開けると、小豆の中にカボチャが入っているのを見て、気持ち悪くなり返したと言う話を聞いた。

「へーっ!どちらも甘いのにね。気持ち悪いかな?」なんて思ったことがある。

我が家では、お汁粉の中にカボチャを入れる。

私は餅や餅米が苦手であるが、お汁粉の餅は大丈夫なのだ。

イヤイヤ、話を戻そう。

冬至である。


 北半球では、一年で一番日が短い日である。

子供の頃から、この日は何だか心にジーンと来るものがある。

この日を境に夏至に向かうのだ。

長い夏の一日が待ち遠しいが、これからが北海道は冬本番となる。

北海道は、不思議なもので冬至を過ぎても日の出がドンドン短くなり、大晦日が最も遅い日の出となる。

その後、日の出は確か1月10日辺りまで同じ時間となる。

冬至を過ぎて伸びていくのは日没時間だ。

地球の軸の傾きと言うのは、色々と気候を含めて面白くしてくれる。

あ、そんな話はどうでもいい。

冬至である。


 真剣に冬至に思うことを綴るのだ。

忙しない世間と、何となく落ち着かない気持ちの年末において、この日だけは静かに過ごしたいといつも思う。

仕事柄ノンビリと冬至を過ごす事は出来ないが、特に今年は仕事をしていないので静かに過ごせそうだ。


 冬至とは、長い夜だ。

しかし、雪で覆われた北海道は雪の明るさがある。

雪国の雪の白さには、吸い込まれそうな透明感のある明るさがある。

冬至は、敢えて照明器具を使わずにロウソクやランプで過ごすのも良いかもしれない。

明日から、日の長い夏至に向かうと思うと、少し嬉しくなる。

でも、冬至と言う季節の変わり目は、クリスマスや正月という行事に隠れて、あまりにも地味なものになってしまっている。

日本では、同じ季節の変わり目である、秋分の日や春分の日は祝日だ。

冬至や夏至は休日にさえなれない、扱いの低い季節の変わり目なのだ。

夏至などは、何せ一年で一番日の長い日なので、明るい気持ちになる。

しかし、冬至は夏至が陽の存在なら、まさしく陰の存在であろう。

北極圏や極北の国々や地方では、一年で一番大切な日に夏至祭を開催して白夜を楽しむ。

確か極北や北極圏では、冬至に復活祭と称して冬至祭を嘗てやっていたと聞いた事がある。

太陽が復活していく偉大なる太陽神への祭りなのだろうか。


 日本と言う国は、何となく一年を通して温暖で太陽の日の長さも、極北や北極圏程差がない曖昧な位置にあるから、夏至も冬至も春分や秋分より格下の扱いなのもしれない。

でもね、クリスマスよりも遥かに大切な日なのだ。

人類が生まれた時から、冬至と夏至は間違いなく人間の生活にとって大切な日であった筈だ。

この国はもう少し、冬至と夏至を真剣に考えるべきだと思う。

地味であるが、一年で一番最後の日本古来の行事なのだ。