以前読んだビジネス書にこんなことが書いてあった。
人間の脳には右脳、左脳のほかに感情脳というのがある。
この感情脳の中には振り子が常に振れていて、
嫌なことがあると「不快」へ
嬉しいことがあると「快」へ振れる。
ちょっと嫌なことは「不快」へちょっとだけ。
おもいっきり嫌なことは「不快」の頂点にまで振れてしまう。
逆にちょっといいことは「快」へちょっとだけ。
すっごーくいいことは「快」の頂点へ。
私たちの人生は、いいこと悪いことの繰り返しなので、常に振り子は「快」「不快」を行ったり来たり振れている。
嫌なことがあると「不快」へ
嬉しいことがあると「快」へ振れる。
ちょっと嫌なことは「不快」へちょっとだけ。
おもいっきり嫌なことは「不快」の頂点にまで振れてしまう。
逆にちょっといいことは「快」へちょっとだけ。
すっごーくいいことは「快」の頂点へ。
私たちの人生は、いいこと悪いことの繰り返しなので、常に振り子は「快」「不快」を行ったり来たり振れている。
実は、この振り子の振り幅が大きければ大きいほど
自分が味わう感動が大きくなるそうだ。
自分が味わう感動が大きくなるそうだ。
嫌なことを避けて逃げて通る人には、振り子が「不快」の頂点まで振れることはない。
それでも、ちょっと嫌なことは必ずあるので「不快」へ少しだけは振れる。
そして、その後に必ずやってくるちょっといいこと。
その時に振り子は「快」へ少しだけ振れる。
「不快」「快」どちらにも少しづつしか振れていないので
それでも、ちょっと嫌なことは必ずあるので「不快」へ少しだけは振れる。
そして、その後に必ずやってくるちょっといいこと。
その時に振り子は「快」へ少しだけ振れる。
「不快」「快」どちらにも少しづつしか振れていないので
振り子の振り幅は小さく、感動することはない。
けど、もし思いっきり嫌な思いをしていたら、
振り子は「不快」の頂点から、
その後に必ずやってくるちょっといいこと
「快」へ少しだけとはいえ
その振り幅は、凄く大きなものになる。
振り子は「不快」の頂点から、
その後に必ずやってくるちょっといいこと
「快」へ少しだけとはいえ
その振り幅は、凄く大きなものになる。
そら、
「不快」の頂点から「ギュィーーーン」と振り落とされてきた振り子が
さらに「快」へ行くねんで☆
そう、このとき
ちょっといいことが
「めーーーーっちゃ嬉しい!」
「超幸せ!」
凄く大きな感動になるのだ。
ちょっといいことが
「めーーーーっちゃ嬉しい!」
「超幸せ!」
凄く大きな感動になるのだ。
必ずやってくる「嫌なこと」と「いいこと」
どうせなら、良いも悪いも大きな感動を味わった方が、人生お得だと
俺は思うねん。
これはビジネス書に書かれていたもの
俺が若干話を変えてしまったが
俺が若干話を変えてしまったが
嫌な仕事、他人の仕事を押し付けられて
「なんで私が…」
「なんで私が…」
「なんで俺だけが…」
と考えるのではなく、
自分から進んで嫌な仕事もやろう。
そうすれば必ず報われるよ。って話でした。
と考えるのではなく、
自分から進んで嫌な仕事もやろう。
そうすれば必ず報われるよ。って話でした。
仕事に限らず、
私たちの人生は、いいこと悪いことの繰り返し。
人生どころか、一日の中でも繰り返している。
振り子を止めることも
「快」にだけ振れるようコントロールすることもできひん。
毎日、美味しいご馳走を食べていたら、当たり前になって
「おいし~~~~~い」と感動しなくなる。
たまに食べるから
「美味しいもの食べるとちょーー幸せ!」
と思えるのである。
「おいし~~~~~い」と感動しなくなる。
たまに食べるから
「美味しいもの食べるとちょーー幸せ!」
と思えるのである。
これと同じやんな(#^^#)
嫌なことは、いいことを引き立たせるためにも必要やってん。
しかも、めっちゃ嫌なことがどれほど役に立っていることか(笑)
そして俺の場合は、
この振り子から味わう感動だけではなくもう一つ特技があるねん。
「もうあかん、どん底や!」
こんなとき
ホンマに苦しくて辛くてしんどいけど
でも
もしこれを抜け出したら
この大きな壁を乗り越えたら
俺はどんだけカッコええねん
好きな子に
「カッコいい~~~~っ!」
「素敵♡」
こう言ってもらえることを想像するねん。
妄想とも言えるけど、
そう思ったら頑張れる。
好きな子がいなくても、
将来出会うであろう素敵な人に
褒めてもらう。
そして、
俺の人生を本にするとき
いや、映画化するとき
波乱万丈やなかったら面白くないもんな(#^^#)
