こんにちは、ゆークンです。

 

今回は「なぜツライと分かっているのにその環境から抜け出せないのか?」

考えていきたいと思います。

 

家庭環境やカップルなどでもたまにDVという言葉を聞きます。

みなさんはもし自分がDVの被害者だとしたらどう対処しますか?

 

そんなの逃げるに決まってんじゃん

って思いますか?

 

自分自身が「自分はDVの被害者だ」と認識があるのであれば、

理論的にはもちろん逃げた方が良いです。

 

ですが人間という生き物は厄介なもので、逃げたいのに逃げられないんです。

これは楽しいことでもツライことでも共通しているものです。

 

その正体は

コンフォートゾーン

によるものなのです。

 

 

コンフォートゾーンを簡単に説明いたしますと、

「居心地の良い場所」ということです。

 

ツラいのに居心地がいいだと?何バカげたことを言ってるんだ!

と思いましたか?

 

先ほどのDVの話を交えて説明すると、

DVする側とされる側、お互いそれぞれの立場が常態化してるということです。

 

DVをする側がもし、他人に「明日からDVしたら罰金な」と言われたとしたら。

今まで行なっていたDVをしないことに不自然さや気持ち悪さを感じます。

むしろ罰金を払ってでもDVをしたくなるのかもしれません。

 

DVをされる側も同じです。

被害者の方は物理的にも精神的にも相当な苦痛を味わっています。

ですが、DV被害者の立場が長くなればなるほど常態化します。

 

「私はDVされて当然の人間なんだ」と

自分自身にレッテルを貼ってしまうかもしれません。

なので、DVをされない環境に放り込まれたら居心地の悪さを感じます。

 

物理的にはDVされない環境で痛い思いをしていないのにも関わらず

「DVされて当然の私をなぜ周りの人間は優しくするの?」

と思うかもしれません。

 

「DVをされることで自分はその場所に居続けることができた」というわけです。

 

 

 

以前書いたブログで、

僕が4年間やっていた配信サイトを離れたことを書きました。

 

そのサイトは匿名のアンチだらけで、

人間の皮を被った悪魔みたいなリスナーがたくさんいました。

 

自分自身傷ついてることを分かっているのにも関わらず、

なぜそこから逃げることができなかったのか?

 

それは

自分は人から評価されず、傷つけられて当然の人間なんだ

と自分自身に無意識にレッテルを貼っていたからです。

 

「人から褒められたい」と思っているはずなのに

人から褒められると居心地の悪さを感じます。

 

 

幼少期に親から褒められるのが当然だった子供で例えてみましょう。

 

人から褒められている状況がコンフォートゾーンになっているので

褒められない環境だと居心地が悪くなります。

 

なので褒められる環境を別で探すか、自分が褒められる様な行動をすると思います。

 

本人は褒められる為に行なった行為だったとしても

結果として人の役に立っているなら素晴らしいことだと思います。

 

 

この記事を読んでいるあなたのコンフォートゾーンはどんな環境でしょうか?