おっす!おらやぢぅ!
雨続きだと外出るのが億劫になって引きこもりがちになる。
というかもともと引きこもりなんだけど、テンションに差はでてくるよねー。
みんな雨の日の有意義な過ごし方を教えてけろ!
さて、今日のテーマ
「我慢は人に押し付けるな!」
小さい頃から何かと他者から我慢を教えられるシーンというのは多いと思う。
今まであまり意識しなかったが、我慢には2パターンある。
「強いられる我慢と」と「意識的な我慢」だ。
人間という生き物は楽な方を選びたがる生き物だ。その中で自分の意思で我慢をすることは難しいことだ。
時と場合によっては強いられる我慢から学ぶこともたくさんあった。
でも、何事もやりすぎは絶対にいけない。折り合いが大事。我慢を人に教えると言うことはかなり難しい。
大事なのは我慢をした先に何が得られるのかを具体的にイメージできるか。
いい例として「テストで80点以上取ったらゲームを買ってあげよう」みたいな報酬を与えるのも一つ。
先が見えない状態での我慢はどうだろうか。ゴールが見えないマラソンを延々と走っているようなものだ。
強いられる我慢から何かを学んだと感じる人は、我慢した先で何を得られるかイメージができる。
もしくは我慢したことで自分に何かご褒美を与えたり、自分でモチベーションをあげる。
大事なのは我慢したことで自分は何を得られるのかイメージした上で我慢すること。
でも、人によって我慢できることできないことがある。何もかも我慢してたら時間も身も削ることになる。
ちなみに成人する前の若者は学校だったり親の教育で我慢を強いられるシーンが多い。
野球部の練習風景を見ていると「ここは刑務所か!」と思うことがあった。
なぜそこまで辛い環境下に身を置くのか俺は当時理解ができなかった。部員も顧問の愚痴ばかり言ってたし。
なぜ辛い環境に身を置いてるのか、それは本人にしか分からないことだ。
・我慢するという概念を極力無くす
いつしか俺は場の空気を読みすぎるが故に自分を抑えて生きて来た。
「自分さえ我慢すればこの空間は丸くおさまるんだ」と。
何でもかんでも自分が耐えれば周りは嫌な思いをすることはないと思っていた。
でも、そんなことをして自分に何かメリットはあるのだろうか?
自分を殺さなければならない状況に身を置く意味はあるのだろうか?
その場を楽しもうとする様に考え方を変えることもできるし、
自分が我慢しなければならないなら身を置く必要もないと、最初から身を置かない選択もできる。
どちらが良いとか悪いとかではない。
どちらの考えが自分にとって居心地がいいか、自分のためになるのか。
それをイメージした上で行動に移してみよう。
そもそも、自分の意思と反する行為をしたところで良い結果は得られないのは確かだ。
なぜだろうか。それは自分が納得しない限り、どこまでやっても納得しないからだ。
・その我慢、意味のある我慢?
日本という国は我慢して長く続けることが美徳と考える国だ。
自分自身、我慢することはずっと正しいと思って来たし疑問を感じることがなかった。
でも、本当にそうだろうか?
上司に「お前ってほんとバカだよな。本当使えない」と言われてずっと我慢してたとしたら、それは正しいのか?
相手に何をされても腑に落ちない状況で自分を殺して耐えるのが正しいのか?
それが正しいといなら日本は相当クレイジーな国だよ。
相手がどれだけ立場が上の人間だとしても、自分がおかしいと思った人間とずるずる関わる人はただのバカだよ。
どれだけIQが高かったとしても、自分にメリットがないことに時間をかけているのはバカだよ。
そんな状況、どれだけ耐えたところで自分をダメにしていく一方だよ。
我慢は「自分自身が我慢してでも頑張ろう」と思えるからこそ意味があるのだと思う。
ただ強いられる我慢に疑問感じるのなら、それはいつまでたっても納得しない我慢をし続けるハメになるよ。
・おわりに
ただ我慢することが正解だと思っているのは間違い。
自分自身が我慢をすることによって何が得られるのかをイメージした上で我慢する。
強いられる我慢にいつまでも納得がいかないのなら早々に身を引いた方がいい。
我慢してまで何かを頑張りたいと思っている人は、そもそも我慢をしているという感覚はない。
自分自身が「俺は我慢しているんだ」と思ってる以上、いやいや我慢していることに気づいた方がいい。
自分の中で無意味な我慢と必要だと思う我慢をしっかりと分けて考える。