おっす!おらやぢぅ!
昨日は不意に何を思ったのかバッサリと髪を切りたくなり、いつもながらのセルフカットで。
サッカーの前園さんくらい短めに切りましたぜ。
そして、髪を切っている時に聞くのは斎藤一人さんの動画なんだぜ。
さて、今日のテーマは
「親の言ってること、本当に正しいと思ってる?」
親は子供に感情の種を植えると言います。
実際俺も小さい頃からずっと親の言ってることこそが正しいと思っていたし、疑うことも無かった。
自分が仮に疑問を持ったとしても、親がこういえばこうなんだなっていう感じだった。
以前ブログで書いたこともあるが、俺は勉強の成績が悪かった。
だから成績の良い弟は「結果を残している」という理由で、喧嘩をした時も俺が必然的に悪いと言われてきた。
弟から喧嘩をふっかけてきたとしても、俺は結果を残してないと思われていたために怒られたことは何回もあった。
その度に腑に落ちないことも何度もあったし、自分が我慢しなきゃいけないんだなと思っていた。
俺はその頃から自分に自身が無かった。
「なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないのか」
いつしか相手から納得のいかないことを言われても我慢する癖がついてしまい、自分をセーブするようになった。
それが積み重なり、相手に言い返すことができなくなってしまった。自分の自信の無さに繋がってしまった。
どうせ勉強だってやったところで弟には勝てんし、やったところで無謀だろとやる前から諦めてしまう癖もついてしまった。
何をするにも親の評価が基準。こればかりは親の教え方に正解も不正解もない。
子供に「お前は無能なやつだ」とけなすこともできるし、「お前なら絶対できる」と信じることもできる。
どちらにせよ、親の教育は子供の考え方に大いに影響を与える。
スパルタ教育をされた子供は、スパルタ教育こそが正しいと思うだろう。
・自分で決断をさせる。自分の決断で失敗をする
成人してからは一人で色々なことができる。学生の頃より自分で決断することが増える。
逆を言えば、自分の決断で責任をとるということだ。
仕事を決めるのも自分の決断でする。それは親が決めることではない。
親が子供の仕事を無理やり決めようとしたり、子供に対して仕事を辞めるなと言ったりするパターンが多々ある。
それは子供のチャンスを奪ってるということだ。
親も子供も互いに執着し合っているうちはどれだけお金があろうとも不自由だ。
「親が辞めるなと言ったから仕事が辞めれない」
「親がこの仕事をやれって言ったからこの仕事に就いた」
親を理由にしているうちは自由に生きれるわけがない。
これは親が悪いのではない。親に対して自分の意思を通せない自分が悪いのだ。
親の過干渉は子供が自分で決断を下すことの妨げになる。極力子供自信の決断を大事にしてあげることだ。
親の手助けは一見手助けに見えるが、ありがた迷惑だったりエゴの押し付けだったりする。
親の考えに左右されているのは親が悪いのではない。そこから抜け出そうとしない自分が一番悪いのだ。
失敗というのは自分自身の決断で失敗するからこそ意味がある。
他人に何かを強いられて、結果それが失敗となってしまっては意味がない。なぜならその責任を他人のせいにするからだ。
こんなことを言う親がいる。
「私の時代は仕事は我慢するものだったんだよ。だからあなたも我慢して仕事しなさい」
こんなことを言われて、仕事をやる気になるか?ならんだろう。
自分が辛い思いをしたから、楽に生きてる子供を見ると虫酸が走るのか納得いかないのか分からないが、
自分と同じやり方でやれというのは相手の可能性を潰す。
我慢することが正義、正しいという教えは良くないと思うし、言われた方は良いイメージを持つことはまずないだろう。
そもそも、我慢しろと言われて我慢できるほど人間は単純な生き物じゃない。
我慢できない領域に達してるのにも関わらず、我慢を強要するのはおかしい話だ。
もはや奴隷なのか、軍隊なのか。我慢する時代はとっくの昔に終わった。
我慢を強要するより、本当の意味でみんなで助け合う世の中になってほしいと思う。
できない人にやれというのは実に無謀だ。自分のものさしで相手を測ってはならない。
・おわりに
成人したら自分の決断を大事にしなさい。
親の意見に流されるのはもうやめなさい。
自分の意思を大事にしなさい。