こんにちはパクロス編集長の平野です。


ぶんべつ。
という語が普及したのは、
ここ十数年のことだという気がします。
以前は、
「大人としての分別が付く」ときくらいしか用の無かった語が。
今や、
ゴミ収拾の曜日ごとに大切な語となりました。
ふんべつ、ぶんべつ。
しかし漢字にすれば共に分別なので、
我々は、
ふんべつなのかぶんべつなのか、
分別をもって分別せねばなりません。


ゴミと言えば、
夢の島ですね。
分別がまだ普及していなかった頃の、
ゴミ袋がまだ真っ黒けだった頃の、
埋立地。
今となってはたいへんキレイに整備された公園で、
当時のカオスな状況は、
まさしく夢のようです。
どういう経緯で夢の島と呼ばれるようになったのか存じませんが、
現在の状況を見越した命名なら、
してやったり、という所でしょう。
誰にとって?


たいへんキレイに整備された地面の下には、
膨大な量の、
言わば「夢の遺骸」が、
圧縮されて埋まっています。
それはたぶん、
地球上から人類が姿を消す頃…
数万年後くらいの未来、
絶滅してしまうとか、
太陽系の外に飛び出してったとかの後になっても、
残っている。
適当なことを書いてますが、
たぶん残っているだろう。
有機質じゃないゴミをどっさり含んでいるでしょうから。
そして、
さらに数十億年後。
寿命が近付いて膨張して来た太陽に、
飲み込まれて消えるのです。
それが夢の島。


ではパリンドロームです。


雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ


「恋仲作らん」連絡付かない子


【 こいなかつくらんれんらくつかないこ 】


もう絶対、
恋なんてしない。
ラヴな事件によって傷心に陥ることがありますが、
そのとき、
友達に会いまくって回復を期する場合と、
独りで回復を期する場合があります。
一般的にはどう見ても前者のほうが安全策ですが、
後者も、
それはそれで、
むしろそっちのがいいってケースが、
じつはあると思う。あるはずだ。あります。
敢えて連絡を断って、
独りになりたい心境。
事件の内容と、性格に、よりますねこれは。


こういう場合に、
ひとつ言いたいことがあるとすれば。
人前でそれなりに振舞えてるから大丈夫そうだとか、
一時的に引きこもるほどとはさぞかし傷は深かろうとか、
そんなん、
勝手に忖度してもらいたくない。
ってことじゃないでしょうか。
だから性格によりますねと言います。
重傷を抱えながらも朗らかな顔を見せられる人が、
いる。
またその反対に、
妙に気を遣われて余計に孤独が募ることだって、
ある。
この辺りはもう男女関係なく、
単に、
性格の問題だと思います。
人それぞれと言うしかない。


ココロの領域に、
「普通は」なんぞいう物言いは通じませんね。
普通な人間はこの世に存在しないからです。
ただ、
平凡な人間が存在するばかり。
その至って平凡な人間の内面が、
じつに、
正体不明の代物です。
何しろココロの領域ですから、
一切の先入観ないし予断を許しません。
誰にも分からない。
自分を最もよく知るのは自分ですが、
自分を最も知らないのも自分です。
ココロとは複雑もので、
よく分かりませんな。
ロココとは複雑なデザインで、
よく分かりませんな。



雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ

ロココに複雑↑
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wieskirche_009.JPG  より一部引用)

ご覧の通り、
まるで失恋直後のココロみたいに複雑なのが、
ロココ調のデザインです。
これ、考え過ぎたんでしょうねきっと。
そう言えばこんな絵も有名です。


雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ

ロココな人たち↑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fragonard,_The_Swing.jpg  より一部引用)

柄にもなく、
画像を連発してみました。
おお、
いかにもブログらしいブログになったじゃないか。


この『ぶらんこ』の絵を描いた画家、
フラゴナールこそは、
ロココな人物。
女性の下着覗き行為に及ぶ男の絵を描いて、
歴史上に不朽の名を刻んだ。
それくらいロココな人物。


雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ


8/27(金)、
パクロス10月号が発売されます。
この表紙を、
5秒ほど見つめてみて下さい。
何となく、
夏野菜カレーが食べたくなったりしませんか。
店頭で実際にご覧になれば、
きっとなおさらです。
8/27(金)の夜の献立は、
カレーで決まり。