こんにちはパクロス編集長の平野です。


映画・ドラマの類だと、
どんなに必死の形相で急いでいようが、
ムチャクチャに爆走する予定だろうが、
「シートベルトを締めるワンカット」。
それが近頃の邦画ないし連ドラには、
妙に、
バッチリしっかり、
入ってるような気がします。
気がするだけですが、
何となく気になる。
制作側が、
それこそ「気にしてる」んだろうなと思うのでした。
シートベルトなしで格好良い姿を演じさせたら、
青少年に悪影響を及ぼすだろが、
と苦情が入りかねないのが今の世間です。
その上、
着用が義務化された。
そういう気で観ていると、
なおさら目に付く気がします。
気がするだけですが。


爆走と、
シートベルト。
いかにもそぐわない感じです。
かたや放縦、
かたや承従、
だもの。
派手なカーチェイスなどやるような人には、
シートベルトは似合わない気がする。
そもそもがこれ、
人命にも関わる話で、
似合う似合わないの話ではないのですが…
だがしかし、
撮影上の演出とはまさしく、
似合う似合わないの話だ。
ここに衝突の可能性があります。
シートベルトは外して撮りたいと思うことも当然、
あるだろう。


だいたい、
シートベルト着用が義務化された、
というのが、
興味深い所ですね。
飲酒運転やスピード超過とは問題が違う。
自分の怪我が酷くなるリスクを承知の上で、
外したきゃ外しゃいいさ、
「自己責任だろ」。
そういう論も大枠としては成立します。
それに対して、
「つべこべ言うな」が義務化です。
と、この種のことは既に、
法制化の際にさんざん議論し尽くされたでしょう…
どっちが妥当なのかは、
よく分かりません。
個人的には、
ことシートベルトに限って言えば、
罰則つき義務化で正解かも、と思います。
なぜなら。
人の想像力とは存外に乏しいものだからです。
我らは、
遭難するまでは安全だからです。


人はいつまで優秀なドライバーか。
事故に遭うまで。


というわけです。
と言って、
何もかもパターナリズム的な規制で来られるのは御免蒙る。
蒙りますが、
シートベルトに関しては、
義務化で良いんじゃないかと思います。
ベルト着けてなかったせいで相手に迷惑が掛かった、
というケースも無いでもなかろう。
それに、
車の運転って、
すぐ慣れる、すぐ狎れますからね。


ではパリンドロームです。



雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ


余生、兄貴、すごいLOVE♡ヘブライ語。好きに愛せよ


【 よせいあにきすごいらぶへぶらいごすきにあいせよ 】


余生の趣味にはいろいろありますが、
語学研究も、
なかなか宜しいものです。
ハマれば楽しみは無限。
兄貴はとりあえずヘブライ語LOVEらしい。
旧約聖書の言語ですから、
研究の価値もかなりありそうですな。
まぁご勝手に。


身近なヘブライ語って何だ。
えっと例えば、
アダムとイブという名前は、
ヘブライ語だろう。
日本語の太郎・花子に当たるか。
ちと違うか。
調べて知った所によると、
と言ってあんまり確証は無いのですが、
アダムとはヘブライ語で「人」の意味なのだそう。
だとすると、
「神は、人を創ってアダムなる名を与え給うた」
のではないわけだ。
平野は何となくそう思い込んでたんですが違った。
「神は、アダム即ち人を創り給うた」
と理解するのが正しい、
ということになります。
ああ、
こういう、
総称と固有名詞との境界が、
ファジィな感じ。
あるある。
外国語が絡むとそうなるんですよね。


「キムチ」とはただ「漬け物」の意味で、
唐辛子まみれのアレとは限らん。
でも、
キムチと言えば辛いことになってます。
おいキムチ。
「サハラ」とはただ「砂漠」の意味で、
北アフリカの世界最大のアレとは限らん。
でも、
サハラ砂漠ってかぶせて呼んじゃったりします。
砂漠砂漠。
そういうのが外国語にあるなら、
翻って、
我ら日本も同じです。
「Sake」とはただ「酒」の意味で、
米で作る透明なアレとは限らん。
でも、
Sakeプリーズと言った人に麦酒を出したら怒るだろう。
これも酒だぜ、という弁明は通じません。
我々も「サハラ砂漠」とか言っちゃってる以上は、
「Sake」とは清酒に限った意味だ、
と承知しておかねばならない。


お互いに、
ほんのり誤解を認め合おう、
という相互尊重の姿勢ですね。


雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ