こんにちはパクロス編集長の平野です。


服装の乱れは、心の乱れ。
誰かが、
そう言いました。
学校とか、
政府とか、
管理する側にしてみれば、
人の心を管理することは出来ないので、
外見を管理するしかありません。
それが歯がゆいもんだから、
両者をどうにか連結したくてムリヤリ編み出された表現が、
「服装の乱れは、心の乱れ」
なのではないか。
つまりは、
管理側からの論理一辺倒。
だからちっとも響かんのだ管理される側の心には。
個人的にはそう思います。
だって、
また別の所では、
「人は外面じゃない、中身が大切だ」
って言うんだからな。
これではただのご都合主義です。
どっちだか、
ハッキリしてもらいたい。


この辺り、
学校の生活指導の先生方は、
さぞ苦労なさっているかと思います。
どうしたら納得させられるか。
制服ひとつだけ取っても、
問題は無限に出て来ます。
究極的には、
竹刀でぶん殴るしかねえ。
そういう過激な結論でさえ、
現場の人間としては強い実感があるかも知れない。
先生方にはお疲れ様ですと申し上げる他ありませんが、
そういう問題を振りまくモノが、
ある。
あるということ自体が、
一種の教材になるのではないかと思います。


ではパリンドロームです。


雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ


ホ…ホトトギスよ、強過ぎ! と、とほほ


【 ほほととぎすよつよすぎととほほ 】


「ホ…ホ」だの、
「と、と」だの。
しゃべり口調の表現なんですっていう強引っぷり、
回文によくありますね。
そういう罠に陥った見本です。
このような、
ムリヤリでしょうもない感じがまた、
回文作りにおける、
或る種の味わいを醸します。
とほほ。


「とほほ」って今時ね。
戦前から残ってる広告の看板みたいなムードの感動詞ね。


ホトトギスは、
殺されるか、鳴かされるか、待たれるか、
ということになっています。
もう誰が何を言わずとも真っ先に、
そうなっています。
強いホトトギスなら抵抗するだろうが、
ともかく鳴くまで許してもらえない運命らしい。
そこまで魅力的な声とはどんな声か、
気になる所ですが、
幸いにして今はウェブが発達しているので、
検索一発で幾らでも聴けます。
鳴かぬなら検索ですぐホトトギス、
というわけで、
便利な時代になりました。
こうしてホトトギスの有難みが破壊されました。


頑迷な保守主義を振りかざす気はありませんが、
有難みとは往々にしてそんなものですね。
便利とは、
破壊である、
という一面があります。
いかにも人間の世の中らしい矛盾です。
何を言う、
便利なことは価値あることだ。
うむ確かに本来はそのはずで、
それでみんな喜びますが、
しばらく喜んだ後には、
何かが破壊されたのに気付きます。
例えば、
冷凍庫が家庭に普及しきったら、
真夏の氷の有難みが消失した、
ということです。
そういうのを一般的に進歩と呼びます。


と、
そんなことは、
初めから分かっているようなもので。
「本当に良いこと」とかいうものを評価のモノサシに持ち込むと、
物事の価値判断なんぞ、
ほとんど不可能になります。
何が本当に良いことか。


「これ、お前は寝てばかりおって、しっかり学問でもせい」
「学問してどうなる」
「いい働き口が見つかる」
「そこで働いてどうなる」
「儲けていい暮らしができる」
「いい暮らしをしてどうなる」
「あくせく働かんでも済むようになる」
「なーんだ、そんなら初めっから寝てても同じじゃ」


という感じの一口噺がありますが、
これは屁理屈というよりも、
「どうなる」と訊かれて答える答え方のほうが、
問題でしょう。
どう答えるかが、
そのまま、
人生に対する構えを表現すると思います。
何が本当に良いことか。


雑誌編集長の業界ウラ話オモテ話Ⅱ