今日の川柳

 

かーちゃんに しっかりしろと はげまされ

 

             タカオ

 

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・苫米地 義三の生涯

ようこそ、苫米地義三の世界へ。

このブログは当地出身の一政治家の生涯を自分の私見も交えて難しい原本をなるべく分かり易いようにと記述したものです。

では、気長にお読みください。

 


 

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生きるべき人も病気で死ぬのである。

どこでもそうだし、幾千の有意な学生、幾万の貧乏人がこの為に死んで行くのである。

これらのことはどう考えても社会の罪であると云えないであろうか。

社会はこれがために多くの有意な人を失うばかりでなく薄弱な国民を増やすようなものなのである。

大体にして、病院というものはその性質上営利的なものであってはならないのである。

病は社会が治療する責任を任じなければならない性質のものである。



そのためには病院を公有年薬価は勿論入院料も無料として病人を収容しなければならないのである健全な国民を造るのは国家の勤めなのである。

如何に堅固な軍艦があっても烈弱なる国民が多ければ何の役にも立たないではないか。

健全なる国民は烈弱なる個人から成り立つはずのものでもないのである。今や幾十万の病者は日々苦薬を服しているのである。

さらに幾百万の人たちは皆多少の病を持っているのである。

これらを治療せしめ健康な体にしてやることは社会発達上、国家生存上必須急務ではあるまいか。

私は、至誠を持って病院公有論を主張するものである。

それでも学校の講義へはどうやら出席できるようになっていた。

だが相変わらず医薬は元より、月々の生活すら極めて侘しいものであった。

誰も好き好んで病気になるものはいない。

貧しいが為に己の病気を十分に養療できないとしたら、これは国家の為に考えるべきことである。

 

彼の万朝報に発表された「病院公有論]はこの頃に書かれたものらしいのである。

 

今の世には随分、不条理な事が多いが、病人が自費で持って入院加療するのも其の一つではないだろうか。


大体にして病というのは自然の悪魔に襲われたる人類の損害であって病に犯されることは犠牲である。


若し戦場で笑止した軍人が国家の犠牲たるを故を持って忠義の名で名誉の勲章を得るのであれば人類の犠牲者へも何らかの方法が講ぜられなければならないのである。

 

たとえば日本にペストが入り込んだ時、近くの住人である彼は外部の環境でこうなったのだから当然国家がそれを助けなければならないのである。


病気は多くの場合その人の不衛生から来るよりも外部の

境遇から来る場合が多い。
 

彼は社会のために朝夕奔走して不幸にも病に冒されたのである。

 

これを個人の不運として捨てておいていいものであるかどうか。

 

病人というのは既にその苦痛と職を失ったり、仕事を休まなければならなかったり苦痛を訴えていたはずである。


その上、お金も出さなければいけないのである。

何十年という間、辛苦して得た金を無くなってしまうのである。

凡そ(およそ)、社会は、偉いはずの政治家も工場で働く労働者も皆社会の一員として福祉を進めなければならないということになる。

つづく