廣澤安任と大庭恭平の因縁めいた掛け軸が並褐

 

さて今回初公開の掛け軸は重要な役目を務めた。

 

會津藩主松平容保の命を受け京都守護職を拝命した藩主のために高揚型として東奔西走した多くの幕末の志士たちと知遇を得て明治維新後は斗南藩惨事として藩の行く末をつかさどることになる。

 

その後は

 

「野にあって国家に尽くす」

 

という覚悟で廣澤安任大は久保利通からの任官の誘いをかたくなに断り、日本初の様式牧場を三沢八頭、に開設した。

 

また、旧会津藩士で初の陸軍大将となった柴五郎の書もある。

 

さらに、大久保同様、廣澤に対して明治20年ころまで再三認可を進めた会津藩士大庭恭平の書も並んで掲げられている。

 

何かしら因縁めいたものが感じられたものでした。

 

書家渡辺多門の手による大掛け軸は見ものです。

 

またタイトルも制作年も書かれていない幕末維新戦士、殉難者、名簿には最上段中央に茅野権平、田中大海、神保内茂助、一瀬要人、横山主税、といった五人の家老の名前も記されている。

 

合計2550名の姓が整然と並んでいるのである。

 

説明文には戊辰戦争の一部と金門の変、の戦没者も含まれている。

 

三本木小学校に勤務するかたわら書と短歌を良くした、渡辺多門の書ではないかと記されている。

 

多門は1825年安藤半左エ門の次男として生まれ、七歳の時に会津藩****書道の師であった渡辺***の養子となり戊申後の謹慎中には諸学指南を務めていたのである。

 

その系譜は****医院****歯科医院に受け継がれている。

 

終わり