母が後にも先にもただ一回だけ父と一緒に大旅行をしたのです。

 

昭和16年の夏だったとだったと思います。

 

父がどういういきさつかは分かりませんが元青森県の知事の方でこの16年ごろは台湾総督府の総務長官の地位にあった盛岡さんの招待だったようで、父は母を連れそして後に知事になられた山崎さん夫婦も同行しました。

 

山崎さんは当時代議士でも知事でもなく心安く父と交わっていたらしいのです。

 

又その頃、高という台湾の人が日本に来るたびに父のところに来ていました。

 

そのたびに顔を出していたようでしたがその方も案内に立ってくださりいろいろ台湾旅行の写真とかがありました。

 

母にとっては一生の思い出となった旅行で非常に喜び折に触れては台湾の思い出を口にしていたのでした。

 

昭和31年の暮れにやっと夫から解放されての20年間は母はのびのびと老後を過ごしたのでした。

 

老後のことは父と話していたらしく

 

「お前の老後は絶対困らせるようにはしない。」

 

と具体的なものを取り付けていたらしく、稲本先生に大変お世話になり最後は孫の夫である川上医師に脈をとられながら苦しみもなく穏やかに息を引き取られました。

 

母の希望道理遺骨は父のそばにまそう致しました。母の後半生は幸せだったのではないかと私は考えております。

 

おしまい

 

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「ハゲのつぶやき」

 

八十美の生まれたところ”土手山”。

 

何故”土手山”か

 

”いい粘土が出た処”という処から名前がついたとか。

 

”瀬戸山”とも。

 

土手山でなんでリンゴを作ったか

 

貧しい人にもリンゴを分け、声をかけてやる気配りの八十美。