電化記念に勝太郎一行  (※電化・・鉄道が蒸気から電気に代わった)

 

先日ある市会議員の方から活字になるということは責任のあることですから大変ですね。

 

生まれて初めてこんな作業をすることになり活字の恐ろしさもまして責任など深く考えもせずに筆をいろいろ人様の反響が直接間接に耳に入ることが多く、と言って途中から止めることもできずに老いの頭に鞭打って書き進んでまいりした。

 

この項で満一年になりました。

 

父の年譜やまた人様の話を聞いてヒントを得、思い出すまま、とりとめもなく書きなぐりましたのでまことに纏まりもなく申し訳のないことです。

 

が、また話を戻して十鉄の電化の時に遡って追加いたします。

 

15万円かかった勝太郎一行と申しますのは芸能人のことですが年配の方はご存知と思います。

 

小唄勝太郎を三本木へ招いたことがありました。

 

それを私は馬術の時と思い込んでどうしてもつじつまが合わないので近親のものに問い合わせてみると十鉄の電化の株を買ってもらったものだそうです。

 

一株50円で各家を5株ずつ引き換えに勝太郎一行の入場券を渡したのだと聞きました。

 

当時の在(ざい:田舎)の人たちは

 

「太郎ってなんだ?」

 

と知らない人もいて

 

『テル菊の大親分だ』

 

などと言いながらもあまり確信がないらしくそれで方々へ問い合わせてくれました。

 

その頃勤務していた人や秘書役していた人から情報を聞きました。  

 

勝太郎一行を呼んだのはやはり祝賀会の時でした。

 

このときの増資の目的で社員一同はバス路線の住民の隅々まで訪ね歩いて十鉄の株を買ってもらったそうです。

 

テル菊もこの一行を知っていましたが時々この人に在(ザイ:田舎)回りをさせて歌わせて父がサービスをさせていたと見えて株券は勿論後で届けたのですがその株券の持ち主に

 

「八十三に騙されるな」

 

といって自分のほうでだまして株券を安く買いたたいた反対派の人がおり、今更ながら名指しで憤慨していた人もありました。

 

また誰だったか、電化当時、父の側近にいた人から久しぶりに声を聴きました。

 

「母さんこれだけはぜひ知っていてほしい」

 

と言って受話器の向こうから声を張り上げて語ってくれたところによりますと・・・・

 

十鉄の電化の時と時を同じくして津軽の弘前と大鰐間の電化工事が始まったそうです。

 

が、津軽のほうは4億の費用が掛かったが十鉄のほうは長さが津軽のそれより長いにもかかわらず、2億3000万円で出来上がったのです。

 

またこんなことも言いました。

 

先生があの時その気になれば一身代(しんだい:財産、資産)できたのですよ。

 

電化事業を取り付けるため中央の大手の会社の運動が大変だったのです。

 

ある時など大手会社の人が挨拶に菓子箱を持ってきたときに札束がいっぱい詰め込まれており私が先生の命令で返してきたこともありました。

 

とざっとこんな話をしてまるで我が事のように電話の向こうで張り切っていたようです。

 

政治力といえば当時土手山では父母と一緒に住んでいた妹が久原久之助から頻繁に電話があって父は入浴中でも裸のまま久原さんの電話には出たそうでう。

 

いつか語っていたことを思い出しこのあたりが政治力だったのではなかったでしょうか。

 

鉄道路線にの曲がり方にも角度に規制があり規則通りにすると運賃の方に関わりがあるので土木事務所には検査をさせないことにして暗黙裡のからくりなどがあり三星も笑いながら当時の苦心談など語ってくれました。

 

電車は二人客があれば電気量だけは間に合ったのだそうです。

 

さて小唄勝太郎さんは市丸さんと並び一世を風靡した歌手で

 

「島の娘」とか

 

「ハブの港」など

 

あの細くそしてどこまでも透き通るような声が今でも響くようです。

 

すでに亡くなられ、三遊亭小金馬さんは現在テレビなどで大活躍中ですが三遊亭金馬師匠は若かりしときは名司会と腹話術で舞台をを賑わしたものでした。

 

講談の一龍齋貞鳳さんはその後田中角栄首相に勧められて政界に入り本名を今泉というそうですが参議院を何期か努められました。

 

小笠原堅太郎さんお三方さんから過分の香典が届き私たち遺族で相談の上これを品ものに変えて葬式の行列に加え父らしく一流の芸能人をはじめ一行25名がにぎにぎしく舞台を務めたのでした。

 

名を連ねて花を添えていただきました。

 

この一行は当時の金子で15万円で招いたと聞きました。

 

さすが故金馬の司会はうまく歌謡曲民謡、講談、浪花節、太鼓をたたいて歌うものあり、多彩なもので大観衆を堪能させたものでした。

 

つづく