遊佐幸平(ゆさこうへい)の来町

 

特筆すべきことは遊佐幸平氏が来られたこと、年配の方はご存知でしょうがこの方は嘗て(かつて)軍馬補充部の支部長として三本木に居られたこともありこの大会の地は往年の軍馬補充部跡地であり万感こもごも(ばんかんこもごも:さまざまの思いが次々とわき起こる)の思いであったことでしょう。

 

大会当時、世界的に有名な我が国、馬術界至宝、遊佐幸平が愛馬「銀波号」に乗っての華麗な妙技に数万の観衆に万雷の拍手が轟いた(とどろいた)そうです。

 

またこの大会の審判員として来られていた喜多井選手は二十七年のヘルシンキのオリンピック戦後初めて遊佐監督とともに出場した方で皆の要望に応えてアバロンの馬を借りての障害を飛び誘導、鮮やかな手綱(たづな)さばきに

 

「喜多井選手」 

 

と賛辞が一斉に沸きに沸いたということです。

 

大会長の武田さまは明治天皇のお孫様にあたる方で、奥様はさる公家の姫君で数年前までは妃殿下と呼ばれた方。

 

お子様四人のご一家でおいでになられ図らずも私どもでお宿をすることになったのでした。

 

なんとお呼びしてよいのかわからずいろいろ気を使いましたがお供の方も来られず誠に庶民的に振舞われ、思ったより気が楽でした。

 

お風呂に入られる時も四人のお子様を弟様がかいがいしく手伝われてのご入浴、夕食は数人の方と一緒でした。

 

その中には、のちの常陸宮妃殿下妃殿下のお父様にあたられる津軽さまも一緒でしたがお子様がたは津軽様の前にすわって

 

「へいへい津軽のお殿様でございますか」

 

などとはいつくばって無邪気におどけて見せてみなを笑わせていました。

 

どこの子もかわいく同じなんだなあとほほえましく眺めたものでした。

 

翌日第三日目は、県馬力大会が行われご一家は畜協の構内に設けられた桟敷席で興味深そうにご覧になられたのでした。

 

お子様も物珍しそうに身を乗り出してごらんになられて私もその後方で見物させていただきましたがおりました。

 

ご一家は十和田湖へ行かれて旅館「太陽」に一泊為されて御帰京になられたそうです。

 

この馬術大会には三笠宮殿下ご臨席のの予定だったそうですが殿下のご都合でご臨席はお取りやめになり三笠宮杯だけが賜れたそうです。

 

その後三本木ではお迎えの準備がb為されたことを知らされた殿下は久我地十六日に三本木におなりになることをおおせだされちょうど青森県畜連主催の第二回畜産物共進会が五戸で開催されたので殿下は共進会にご臨席になり同夜はまた私どもに一泊為されることになったのでした。

 

つづく