人生のつぶやき

 

持てない男が持てたのは

  かあちゃんと子供達と

    幸せだけだった    タカオ

------------------------------------------------------------------

 

 

父の苦衷(くちゅう:苦しい心のうち)

 

それは本田浩治さんが出馬することになり三星を下ろしてほしいとの申し込みが父のところに入ったのだそうです。

 

本田さんは父が苦境に立った時など片腕として力になった方であります。

 

不遇時代からの共に戦った同志の方々であったに違いなく父の苦中も私どもにはよく理解できてどれほど悩んだかしれません。

 

佐川さんと三星を応援してくださる方々は今になって引っ込んでいられるかとばかり益々ハッスルして激しく運動に取り組み、引くに引かれぬ立場に追いやられてしまったのでした。

 

同志や、父のほうからはあの手この手で攻め立てられて本家や増川さん太田の叔父など父の意向を受けて何回も説得に来られる。

 

また佐川さん達を「いずみや」に呼んで

 

「同じ鍋を突っついた中じゃないか」

 

などと懐柔にかかり三星を下ろすように頼んだそうですがもう遅かったのです。

 

佐川さんは席をけるように帰ったと聞きます。

 

こちらの応援に回った有志にも一人ひとり三十番に来てもらって説得にあたったそうですが

 

「母さん(私)娘と約束したというのは断りやすかったでしょうし父も何とも言えなかったのでしょう」

 

このとき父は

 

[三星は当選だ]

 

と漏らしたのが私の耳に入りました。

 

私は本田さんが出るならなぜ前回出なかったんだろうと恨めしく思っていましたが最近聞くところによると昭和22年の自分には公職追放の時代で、どの選挙にも審査があり本田さんは町長などの公職についていたので立候補できなかったのだそうです。

 

斉下さんや三星その他が合格したのだということです。

 

心ならずも親に背いた選挙でしたので文無しを引き受けて佐川さんをはじめ皆さんにどんなにか苦労をかけたことか。

 

コメの調達や私ども十和田湖畔にほんの少々持っていた土地の売却など、また馬喰の山明隼次郎さんが馬一頭をつぶして台所を助けてくれたり大わらわでした。

 

父のほうでは

 

「これではならん」

 

と今度は本田さんの応援演説で三星を口汚くこき下ろし

 

「俺の築いた地盤だ俺の財産だ、財産を盗む泥棒だ。」

 

とまで極言を吐いたそうです。

 

そこまで言わなければ親子のことですから芝居と思われる懸念があったのでしょう。

 

心無い人がこれを逐一舅の耳に入れるものもあって老の一徹で憤懣やるかたなく私は皆に弁当を持たせ、手運動に出した後台所で一人湯漬けをかきこんでいるところへ来て

 

「ああ言ったそうだ」

 

「こういったそうだ」

 

と息子の悪口を言われた腹いせを舅は私にぶっつける他なかったのです。

 

ある運動員の人たちがあまりの資金不足に

 

「母さんがちょっと大将に頭を下げればなあ」

 

とささやいているのを承知していました。

 

がそんな甘いものではなく、もしあの時点で父にあったら家に帰れなくなることは分かっていることで選挙が終わるまで私は一度も実家へ足を踏み入れずに通しました。

 

小笠原一族は全員本田に周りただ弟の第一の妻-----が実家のお母さんに

 

「なんといっても兄弟なんだよと言われたそうですからこちらに票を入れてくれたと思います。」

 

その他にも父をはばかりながらも、ひそかに一票を三星に投じてくれた親戚もあります。

 

が、運動に来た人は一人もありませんでした。

 

こちらでも家族一丸となって夢中な選挙戦を展開し長女-----はトラックに乗っての応援、次女の------はその時分に三十番の向かいの家の二階で町の放送をしていた-----さんのところに飛び込んで

 

「父をお願いします。」

 

と放送で頼み、四・五丁目の女の人たちは必至な子供の声に涙を流して聞いてくださったと後で聞きました。

 

当時次女は小学校5年だったと思いますが学校でこれがちょっと問題になったらしいのですが職員会議で親のことだからと不問に付すことになったと後である先生から伺いました。

 

市会議員の謙一さんのお父さんである井上兵庫産にも言い尽くせぬお世話になりました。

 

ときどき冗談を言っては皆を笑わせて明るい新風を流してくださったのです。

 

つづく