主人(三星)の県議選出馬
昭和26年に戦後二度目の県議選が施行されることになり父は私共夫婦に
「今回の県議選に出馬し易いように、資金は出してやるから」
との言葉をもらい私どもは大いに張り切って各町村の主だった方々に根回しし佐川芳太郎さんを参謀にすえて準備を整えたのでした。
これは三星が前回県議選の時、父の衆議院のため辞退をしたので父は済まないなあとわびのようなことをつぶやいたそうです。
それで次回には三星を出そうと思っていたのでその配慮だったのです。
父は22年の知事選に敗れて直ちに衆議院に出馬当選してから次の24年衆議院選に第六回目の当選を果たしました。
二月に農林委員長就任、五月に社団法人全国畜産会会長、2月には財団法人馬事畜産会館を東京に設立、会長に選任され同じく全国畜産農業協同組合会長などを歴任。
26年9月には全国農業共済会長に就任しています。
そして27年にはまた衆議院選で第七回の当選を勝ち取っています。
さて私共はあれこれと県議選に忙しく佐賀さんを中心に詰めの協議をしていました。
そんな時、全く思いがけないことが起きて精神的にも経済的にもまことに苦しい辛酸をなめる選挙となってしまったのです。
つづく