今日の川柳
三日月を 逆手に返し ひとり酒 タカオ
-----------------------------------------
春祭り(太祖祭)の発案
一区切り書き終えて窓に目をやると外は上天気、前の畑は懐かしい黒土をいっぱいに広げてところどころに何か緑の芽を出し、水仙がかわいい鮮やかな緑の葉をのぞかせて思わずほほえましくうれしい思いでした。
洗濯物が春風にゆらゆらと揺れながら乾くのもうれしい。
農家に囲まれた我が家に一人ポツンと座っていると苗代作りに忙しい、近所の男たちの高声が聞こえてまいります。
先日田んぼで積んだフキノトウを酢味噌で和えて早春を賞味しながら太素祭もまた賑やかでしょうなどと話している。
と、三星が
「三本木の春祭りを提案したのは俺なんだ」
と思いがけないをポツンとつぶやきました。
びっくりして根掘り葉掘り聞き出そうとしましたが明治生まれの老の頭は40年近い昔のこととて細かいことはすっかり忘れてしまったようです。
終戦後2-3年してからだったと思うが・・・と話して出したところによると、
その頃親しくしていただいた阿部睦夫さんや赤坂智雄さん方と話し込んでいるうちにたまたまたまたま三本木に人を集めるために何かすることがないかなあ
と、いうことになり三星が大阪や京都では秋祭りと春祭りを盛んにやるが三本木でも秋祭りだけでなく春祭りさしずめ太素祭りはどうだろうと案を出したそうです。
十鉄の重役さんだった篠田先生や田中観光館さんはこの話に飛びつき、相談に乗っていただいたそうです。
それで新渡戸家へは誰がお願いに行くかということになりました。
新渡戸家の実権を握っているのはおばあ様だったようでおばあさまは大変厳しい方でみんな苦手の様子。
そこで田中さんがこれは安野が一番適任だということになり安野さんにお使いを頼み
「あまり汚くしなければ」
との条件で許可を取り付けてそうです。
この方々の他にもたくさんの方々が動いて出来たのでしょうが三星はこんなことだけを記憶していました。
阿部のむっちゃんと赤坂の友ちゃんは太素祭りの功労者なんだと三星は言って出かけてしまいました。
勿論具体的には時の町長さんはじめ観光関係の方々によってなされたことに違いありませんが動機はこんなたわいのないことだったようです。
つづく