今日の歌
自動射 ショーか?
♪ジャガ ジャガ 打つ打つフォドフォドに
セイサイ続いてシボレーで 後でヒジテツクラウンかー
ここらでやめてもいいコロナ~
それでもやめない セドリック♪ タカオ選
参考車
メルセデス・ベンツS600(W221)プルマン・ガード
約1億7000万円とか
体に良い専用トイレ付とか
フランス語で、”メルセーですベン通ー”ありがとう。
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父の遺言
いつのことだったか忘れましたが病床にあった時、本田浩二さんに書簡を書かせたのを覚えています。
内容は分かりませんがそれは大野版僕、鳩山一郎・河野一郎のお三方の先生にそれぞれ宛てたものだったと記憶しています。
遺言のようだったなあと私は不吉に感じました。
思い出の数々昔々の物語を2,3思い出すままに綴ってみたいと思います。
とりとめもなく他愛もないものになるとは思いますが昭和2、3年の頃と思います。
当時知立新聞だった東京日日新聞の三面に名刺を横にしたほどのスペースでとんでもない記事が載っていました。
「青森県三本木-----学校修学旅行生が上野動物園を見学、ライオンの前でしげしげと見ていた一人が、このライオンのどこから歯磨き粉を取るんだろう」
と言ったと。
いまなら幼稚園児でもそんなことは考えないでしょうが昔は、ライオン歯磨き粉は全国へ普及していました。
病院の薬の袋程で薄桃色の表面にはライオンがどんと座った絵が印刷されていました。
北支の戦線(中国大陸北部戦線)の人の話では戦地の人々が腹痛を訴えた時に薬が無く、代わりに、よく効く薬だからといって歯磨き粉を飲ませたとところケロッと治った、という話を聞いたことがあります。
が、戦地に持ち込まれるほど長い間ラオイン歯磨きが一般化されていたのでした。
練磨きやチューブ入りなど全くなく歯磨き粉一種類だったと思います。
とはいえライオンのどこからとるんだろうとはあまりに未熟。
本当の話だろうかと一緒に旅行をした、
「いとこ」
に聞いたところ、
「本当だ、誰々さんだてば…恥ずかしい」
と言うのでした。
折悪しく新聞記者がそばにいたのでしょうか。
在京青森県人にとっては身の縮む様なはずかしいことでした。
つづく
