今日のことわざ
百日の説法 屁 ひとつ タカオ選
百日もの間、熱心に仏教の道を説いた僧が、
最後にオナラを一つしたために、説法のありがたみが
消し飛んだことから。
長い間の苦労がほんのちょっとしたしくじりのため、
無駄になってしまうことのたとえ。
放屁一発 クサカリマサオ
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婦人号の寄贈
こうしてあたしが寝込んでいる間に本田蝶々夫人が磯上良子さんが夫人会長として先頭に立って最新式の消防車を町に寄付すべく会員の方が大わらわで寄付活動をしたところ念願に達し「夫人号」と銘打って消防に寄付し町の人々を喜ばしたのでした。
また十鉄の祝賀会にも活躍したのでした。
わたしは残念ながら病床にあって参加できませんでしたがいろいろと情報を知らされて大変うれしくまたうれしくもありました。
話は前後しますが、終戦後、婦人会の空白時代を私ほど10人くらいで「婦友会」という会を作りました。
今でも5丁目にあるほてい堂薬局が場所も便利なところにあり奥さんがいつお邪魔しても歓待してくださいます。
みんなが街に出る時にちょっとでもおじゃますると、時々、薬局のほうは末っ子の毅史、中央病院の薬局長のご次男は北里大学の事務長という要職に就かれました。
娘の礼子さんは三沢の庄家に嫁がれて大変繁盛してるそうです。
皆さんが立派になられるのもあのお母さんがあればこそと思われます。
斉下咲子さん。
実に頭脳明晰な方でした。
関野さんが
「斉下さんは代議士に出しても立派に通用する人よね」
と言ったことがありましたがまことに同感です。
婦人会の副会長をしていた時のこと
「三星さんは大変いい意見を出します」
と会議の席上で評価してくださったときはうれしかったのです。
が、気が付いたらいつの間にか人を上から見下ろす位置を確保していたというような器量人でした。
本田よしこさん、まことに率直で歯にきぬつけずにズケズケとモノを言い実行力抜群で読経な言い方でした。
その頃この本田芳子さんと斉下咲子さんが
「坊やがかわいくてかわいくて」
と、手放しで喜びようでしたが一方のよしこさんは
「あのくされぼうずっが、きかなくてきかなくてどうしようもない」
といい、二人ともかわいさの表現ですが性格の違いをはっきり映し出してる気がいたします。
芳子さんは当時の本田蝶々夫人であり、また婦人会会長として先頭に立って寄付金を募り、当時としては最新式の消防車を寄付してこの実行力には敬服のほかありません。
柴宮玉亀さん婦友会では最年長だったと思いますがつい2-3年前まではお元気で、何回も遊びにいらっしゃいと言われながらあれやこれやで訪問が遅れているうちにお葬式を送る羽目になり残念でなりません。
親分肌で晩年も最後まで方々を引き連れて、もう80歳も超えていたというのに美しく年をとられました。
私たち婦友会のメンバーは多かれ少なかれその傾向はあったのですがたぶんに我儘なところがあったわけですけれども息子さんの改一さんご夫婦に見守られてお幸せな生涯だったと思います。
神川先生はお医者様らしく冷静で大変有益な助言をしてくださる方でした。
「人の窯に足を突っ込むことはしない。」
それでいて大変暖かお方でした。
婦友会はまた、戦後の沈滞した町へ工業物を持ってきました。
例えば浪波節の米若とか,寅蔵、さてはオペラの藤原義江など当時の一流どころを読んでにぎやかな催しでした。
会場である産馬組合の馬検場がどの時も満員となったものでした。
儲かったのか損をしたのかわかりませんが全く忘れましたがトラブルの記憶はありませんので損はしなかったのでしょう。
懐かしい思い出ばっかりですがあの方もこの方もすでに亡くなってしまって寂しくなりました。
つづく
