花の命は長すぎて 楽しきことが 多かりき タカオ
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其の2
新しい考え方、この価値観を転換するということは、
金や物を基準に動く状態から新しい考え方、
豊かさを求めて
「経済」から」文化」へ、
より精神的生き方
ここが主体的に考え、
行動することにつながっていくのではないか。
このとき、人類の原点
「額に汗して汝の食をえよ」
という箴言(しんげん:教訓の意味をもった短い言葉)を
生涯の信念として明治の末期から昭和にかけて
武蔵野の一角で小作百姓をしながら
人間のあるべき姿を探求し、
独自の思想体系創造しようとして
苦闘した江渡狄嶺先生の生き方や思想は
現代の我々に大きな示唆(しさ:それとなく教えること)
を与えてくれる。
如是閑(にょぜかん)の狄嶺観
狄嶺先生の思想は、
最近改めて認識し直されているが、
先生の人間像を浮きぼりにしたものとして
これ以上ないと思われるのが
長谷川如是閑氏の
「場の研究」
の序で次にようにいっているのです。
「狄嶺とは、いがぐり頭で、無精ひをはやしてしまいにはごま塩の
ほほひげになった。
百姓の普段着のような装いをして、
腰にタオルをぶら下げて東北弁でものを言って、
百姓の仕事をして暇があれば酒を飲んで、
飲まないときは本を読んで、
物を考えてよく人訪れて、
あいてによって
哲学、
文学、
宗教、
芸術、
法律、
政治、
道徳、
風俗、
など人間社会のあらゆる面に渡って
人の言うことをノートに書き留ている人で、
しかし志ある人たちを集めて、
だれの言葉でもない純粋に
自分の言葉で語っている人である。
狄嶺は、
生きることは働いて生きる人だけが語るべくして語れない、
持つべくしてもてない、
聞こえない言葉を聞こえる言葉にして語っている。
下から出た言葉でなく、
頭から出た言葉でなく
体から生活から汗の様に滲みだした言葉を狄嶺は語るのである
つづく
