>>>その頃と言うのは紀元三二五年の頃の事である。>>>

 

さて

それをずっと

さかのぼるとすれば、

まずは想像の域を

出ないことになるが、

考古学的には

大分はっきりした面もあるので

それらの事から紹介してみる。

 

福岡県板付遺跡に籾(もみ)の出土がある。

これが、紀元前三〇〇年頃、

青森県に伝播(でんぱ:波及)したのは

紀元前二〇〇年というから

五〇〇年を要したことになる。

(今松山というところから籾(もみ)の出土)

 

だから米そのものを

主食にしたのは

ずっと後だと考えてもいいし、

事実その後も収穫の面では

現代にいたるまで貧しかったのである。

とすれば、

澱粉(でんぷん)質のものを

とる場合「芋」が主であったはずである。

 

亀ヶ岡遺跡の泥炭層からは三つの壺に

 

「クロクワイ」(芋の一種)

 

の詰まったものが発見されている。

この頃になると

食べ物を土器に入れて

貯蔵したり、

海草を塩漬けにしたりしており

所謂(いわゆる)調理法が

かなり進歩してきたらしい。

香辛料でも

 

「山椒」

 

が見つかっている。

日本の古代はジャングルであって、

山野の幸は想像以上に

富であったはずだが、

いかんせん、

一年を通じて、山海の幸は

人に与えることはなかったのであろう。

飢えと寒さの自然の攻めは、

人間にとって

極めて冷酷で

あったにちがいない。

 

唯、海には海の幸、

山には山の幸を求めて

相当幅広く食べてきた

古代人は、我々現代人よりも

はるかにたくましく何の

拘束もなく美味なるものを食したことは

想像に難くない。

たとえば、

 

「さしみ」

 

などはもちろん、

最上級の魚を塩味でたべ、

野獣をとっては、バーべキューをした。

新芽の料理は、調味料不要。

山の果実も豊富にあったにちがいない。

栗の類も相当古くからあるはずで、

この様な点では、

高級な食生活を

営んでいたたと考えれば

考えられないことはない。

 

唯、前述のように、

一年を通じて食は

豊かでなかったために、

栽培と飼育が

はじまったたと思われる。

これらの食品の実態も

奈良時代の文献によって

漸く(ようやく)開明する

ことが出来る様になる。

大宝令、

正倉院文書、

万葉集、

古風土記

 

に見ると次のようである。

 

穀物

糯米(もちごめ)

小麦

ヒエ

ミノ

 

蔬菜(そさい)

大豆

小豆

あおささげ

黄瓜(きゅうり:胡瓜)

まくわうり

ゴマの実

セリ

アザミ

ナギフキ

大根

なす

レンコン

竹の子

青菜

小菅

メヨウガ

クワダチ

田葛

などなど・・・。