今日の川柳

そりゃぁない おれよりさきに ゆくなんて

さびしさに ぶつだんあいてに いっしょざけ  タカオ

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・苫米地 義三の生涯
ようこそ、苫米地
義三の世界へ。
このブログは当地出身の一政治家の生涯を自分の私見も交えて難しい原本をなるべく分かり易いようにと記述したものです。
では、気長にお読みください。

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・・私はこれからどういう生き方をしていったらいいのでしょうか。

・・かつて私が中学に入って以来

ずっと困惑のさなかにいるのです。

さらに高等工業に入ってからもどうしようもなくなって益々悲惨な状態になってしまったのです。

然し乍ら私は奮闘して来たことは確かでした。

中学時代、厳寒が身に浸みるような時も私は牛乳配達をしながら、そして又学校の代書の作業もしてきたのでした。

農作業もしました。

商店でも働らきながら、そうして中学校を終わったのでした。

こうして千辛万苦しながら中学校を卒業したのでした。

それにもかかわらず自分の得たるものは一体なんだったんだろうか、と考えさせられます。

食べ物も、粗食で、あるいは食事無しだったり、不規則だったり、過激な労働は唯、体を衰えさせそれが元で病気の原因になってしまったのでした。

こうして、この卒業時になって難病の肋膜炎となってしまうのでした。

そうして病床の中で呻吟することになってしまったのでした。

この難病を根本的に治すことができないでいるのです。

東京に蓑(みの)を背負って出てきたのでありましたが再び大きな病気になってしまったのでありました。

そして再び服薬せざるを得なくなっているのでした。

ああ、何たる事であろうか。私は自ら大きな犯罪を犯した覚えも大きな悪をしたこともないのになんと言う罰なのだろうか。

天に誓って恥ずかしい事はしなかったはずである。

胸中に汚辱な事をなした覚えが無い。

私は、青春の常を抑えられない時でも克己(こっき:自分の感情・欲望・邪念などに打ち勝つ 事の実をあげたと思っています。

こういう逆境の時でも勉強には反って多くやったと思うのです。

労働と時間は他の連中よりも負けたとは思っていないのです。

でも今は何となく心が空しく感じているのが現実なのです。

一体、私は

何の為に生まれ

何の為に働き

何のために死すべき

なのでしょうか。

善を成す事、人に勝り、徳義信仁、人を超えていき、それでも天下の中で職を得ないでいる人間がいるという現実です。

自分でも何を言おうとしているのか分からなのです。

・・・一体、・・・

主体となるのは悪で

善というのは表面に過ぎない

ということだったのでありましょうか。

悪は心にして、善は体なのだろうか。

果たしてそうであったならば善というのは虚飾に過ぎないになるのです。

それならば善を行なうということは

きれいな着物を着るようなもの

にすぎないというのでしょうか。

私は体のことを考え

きれいな着物を選ぼう

とはしている訳ではありません。

今は、やや健康を自覚してきています。

かつては卒業を期して留学をも目指して来たのですがこれは特別の目的がある訳ではありません。

進んで倒れてしまうのか、それともこのまま沈没してしまうのか、進んで行ければ行きたいのですが中々私の志だけでは思うようには行かないのでした。

ああ、かくして私は自分の進退、今どのようにしていったらいいのか勇気が持てないでいるのです。

私はまだまだこれからであって社会への恩にも報いることもしていないのであります。

健康についてはもう医者に任せることしかありません。

昨日、明治病院に行って院長の鳥居先生に私の希望を述べてきたのですが。

先生は懇切に診察したうえで、君の暴挙だけは思いとどまれというのであった。

先生は、万全の策を与えてくれたのでした。

先生の言うことには、今は服薬を続けなさい、気候温和な地を選んで、過労を回復することです。そして栄養をしっかり取りなさい。

このように私は全く立派な病人になってしまいました。

本当に私は今、失意のどん底にいるのです。

偉大な光り輝く未来を望みながらもいまは暗黒の世界に落ち込まざるをえないでいるのです。

男はひとたび志しを立てて故郷を出た以上学もしならずんば死すとも帰らず、ということで、私としては工学ノ世界を選びこの道に突進する気持ちでいるのです。

不肖の私ではありますが意気は失ってはいないつもりなのです。

ここまで来たのでありますからなんとしても実業界で名を成していきたいのです。

そうして父や母とも郷里で会うことができようというものです。

ああ、私は中学時代以来、何一ついいことはなかったものです。

あるのは苦境だけ、思いは憂撃なことばかりでした。

今、東京高工を卒業し身辺を省みれば、これまでの希望は断たれてしまい三百円の借金が残っただけでその重みが私の体を縛ることになるばかりです。

これから私はどのようにしてこの荷物の重さを減らしていけるのか・・将来これを解決できるだろうか。

なかなか容易でないことは確かなのです。

失意の中で、不幸の淵に沈められたのです。

でも私はこの世を悲観するつもりは全くありません。

私はこのようにどんな境遇にあっても為すべきことはあると信じていきたいのです。

今までの計画がどんなにだめになろうとも、将来世に報いることができると思うのです。

ここにそう記しておこうと思うのでした。

つづく