今日の川柳


もういいかい 少年少女の シルエット   タカオ

 

ゆっくりと ゆっくりとゆく あの世まで  タカオ


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・苫米地 義三の生涯

ようこそ、苫米地義三の世界へ。

このブログは当地出身の一政治家の生涯を自分の私見も交えて難しい原本をなるべく分かり易いようにと記述したものです。

では、気長にお読みください。

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しかも、常に国家を利することに置いて自分も恩恵を得る恩恵をえるーという立場にあってものを考えかつ実行してきたのであった。

彼にこの思想を培ってくれたのは、高工、入学第一年のとき採用した英語の教科書にアメリカの鋼鉄王カーネギー翁の自叙伝で会った。

其の中の、翁のはなしとして

「社会を益する事なくして私利をはかるなかれ」

という文句があった。

彼はこれを読んで、これこそ将来、実業界、工業界に打って出でんとする自分に与えられた金言であると深く肝に銘じ、これ以来、彼の日記の冒頭には毎年この文章が書かれていたのであった。

五十年を経た今日、尚其れが続けられている

彼が高工を卒業したのは

明治三十六年六月

であった。

この頃になると、彼の「天来警語」藻唯、自分の不遇を嘆いたたりするような私的感情だけでなく非常に視野を広く社会の問題に向けられるようになって来たのであった。

たとえば、実業教育に対する批判、北海道の化学工業、日露国交問題等に向けられるようになって来たのであった。


五、「文部当局へ告ぐ」その他

文部当局が生命とする実業教育は自省にあったものとして私も賛同するものであるが、しかし毎年拝出する数千の中学卒業生は、理想が高く其の意向というのはおおむね大学にあるのである。

これは今、学士の名称は一つの名誉として世間で認められ信用され社会中心の地位に置かれているのである。

そのため、特別の事情がない限り高等実業学校に入るものは少ないのである。

統計によっては、高等学校に入るものは少なく、実業学校に入るものが多いと思っているのであるがこれは表面的なものであるといってもよいのである。


そのため、目標を変えて高等実業学校に入ったものである。

しかし、本音としてはやはり大学のほうに向いているのである。

これは学士を過重視したけっかであると思うのである。

わが国ではなくてはならないのは決して学士なんかではないのである。

そうではなくて実地家であり技術家なのである。

特に、今や工業時代に移ってきた輪が帝国としては教育のある技術家を必要としているのである。

翻って、大学の工科を見ると、技術家として不適当なだけでなく学問もあまり深くないのはどうしてだろうか。

彼らは会社に入って少なくとも一年を経なければ普通の技術家になれないでいる。

学んできた学科も実際の仕事に応用できず、会社の職工二期会の運転まで来ている始末である。

これが中学校を卒業して六年間もたった技術家要請としてはあまりにお粗末な話ではないかと思うものなのである。

実際会社においては、工学士と高工卒業生とはほとんど差はないのである。

むしろ高工卒業生は直ちに実施に当たることができるが工学士は一定の期間を経なければ実際には役に立ちそうもないのである。

要するに、大学三年を経て学士は専門学を修め、高工もまたおなじ同じ年で専門を修めるのであるがその点ではほとんど差がないのである。

よって私は大学の工科を廃して高工と合併したほうがいいと思うのです。

そして学理のことはこれを理科に移したほうがいいと思うのです。

工高卒業生といえども会社に入ってからでも勉強をすれば学士と同じように学力はつくのであるし、また技術家として経験をつみ技師となれば学士が直ちに技師となるより結果がいいのではないかとおもうのです。



私が思うのには彼らの大部分は家庭の事情によるものか、そうでなかったら高等学校の試験で落第した場合である。



つづく