ひたすら歩き続ける。たまに立ち止まり、水没した町を見下ろす。遠くで屋根の上から手を降る人もいたがなにもできない。「頑張れ」の言葉は大嫌いである。阪神淡路大震災の時に、被災者が「こっちは頑張ってるんだよ!」と言ってたのを思い出した。

先の方に男性1人が歩いていた。声を掛ける間もなく、竹田さんが驚いた表情を見せた。同じ町内会の友人だという。その方は車ごと津波に流されたが、自力で内陸まで辿り着いたらしい。自家発電の家に助けられ、風呂にも入ったそうだ。

もらったジュースを複数で回し飲みした。一口だけは酷だったが、救われた。

しかし、海と平行に歩いていると、今後の仕事や生活が想像できなかった。頭の中で順番にやることを決めていく。

①会社に戻る ②寮に戻る ③実家に行く

それ以後の事はその時にしか考えられない。震災後、いろんな場所で話す機会が与えられたが、“第一に自分の安全”である。今回、仕事上のお付き合いの中で、福祉関連のヘルパー・送迎車の運転手等の犠牲者が多数いた。自宅を知っている為、責任感から助けに行って高齢者と共に犠牲になってしまった。

酷かもしれないが、“1人の犠牲者か、若い命を含む2人の犠牲者か”…勿論、状況を把握して、2人助かるのが理想ではある。冷静な状況判断が求められる。