こんにちはジンジャーブレッドマン

まずはこちらをご覧下さい桜見てる人多いですよね乙女のトキメキ

以前にも書いたかもしれませんが、あの頃よりは気持ちが落ち着いた今、この文章に出会って思うことニコニコ

それは、私という人間は

病気の私。ではなく、

私の病気。ということです。

同じ病気で、一括りにして欲しくありません。
それだと、私という個人は全く尊重されなくなると思うからです。



同じ子宮筋腫の手術でも、未婚子供無しの私と、全く違う環境の人では、選択する基準も想いを巡らせる事も全く別のものになると思います。

例えば、もう望まなければ、又はもう1人欲しい希望よりも身体の辛さを和らげる事を優先したら、子宮を摘出する選択肢も出てきます。

今回診断されたシェーグレン症候群についても、これは珍しい病気なので、比べようもありませんが、これもやはり、環境によって色んな事が変わると思います。

病気って、した事ある人にしかわからないってよく聞いていましたが、その意味が最近やっとわかりましたくまクッキー

そして、、、病気した事ある人でもデリカシーのない人もいるし、こちらの気持ちにも気付かない人もいます。

でも、全く健康な人でも、少しでも感情を近付けようとして理解を示してくれる人もいますリボン

肉体的な辛さは勿論ですが、それに関わる精神的ストレス、日々の生活の中で感じるちょっとした事。そういうのって、元気で経験のない人には理解出来ない事が多いです。

誰かと比べたらダメなんです。

私はその誰かと同じ病気かもしれないけど、状態も周りの環境も考える事も判断軸も全て違う。

仮に、全く同じ人がいたとしても、私という個人の思考はその人とは別になるはずです。

それなのに、◯◯さんはこうだった、とか。
あの時こう言ったのにと、違う環境になってしまった今の自分を責められたり。
心無い、たった一言に深く傷付いたり。

でもこういうのって、先に私という個人の事を考えてくれていたら、そうはならなかったんじゃないかなと思うんです。

だから、麻央ちゃんの言うように、自分の世界は、自分のもっている心や体でしか決められないんです。

誰かと同じじゃないんです。
全てが違います。

今、病気の人と対面しようとしている方は、先にその人の事を理解しようと頑張ってみてください。

家族、仕事、将来、あらゆる環境において、その病気と複雑に心が絡み合ってきます。

本人は、100%理解してもらいたいなんて望んでいません。そんな事無理なんだから。

でも、その少しの努力で、伝える言葉も全く違ったものになるはずですクローバー