2019.01.17です。
療養生活95日目の朝です。
寒中 お見舞い申し上げます。
(73曲目) #今日の目覚めの1曲 は、
ブルーザー・ブロディ選手の入場テーマ曲です。
The Immigrant Song - Bruiser Brody AJPW Theme
https://youtu.be/6GhCwnJ36Tc
1988年7月17日 に腹部を刺され、死亡した ブロディ選手ですが…
彼の わずか10年ちょっとのレスラー人生には、すさまじいものがあります。
さらっと、ブルーザー・ブロディ選手の戦歴をおさらいしてみると、
1973年 プロレスラー・デビュー
1976年7月 ブルーザー・ブロディ(Bruiser Brody)に改名してニューヨークのWWWFへ参戦
1978年 テキサス・ブラスナックル王座を奪取
インディアナポリスのWWAエリアでは キングコング・ブロディ(King Kong Brody)と名乗って、
大暴れをする。
1979年1月 フリッツ・フォン・エリックの斡旋により「全日本プロレス」に初来日。
1982年からはスタン・ハンセンと全日本プロレスにてコンビを再結成。
「超獣コンビ」とのネーミングが与えられた。ハンセンとのコンビでは
年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝1回・準優勝2回(準優勝2回はいずれも最終公式戦での反則負け)の戦績を残す。
1984年 新設の「PWF世界タッグ王座」でも初代王者となる。
1985年~1986年は、新日本プロレスのリングにあがっている。
1987年 全日本プロレス 復帰。
1988年3月 最大のライバル関係にあった #ジャンボ鶴田 から「インターナショナル・ヘビー級王座」(3度目)を奪取。
1988年7月没
かたや。
プロモーター・ブッカーにとっては、彼ほど扱いにくいレスラーもいなかった。
独自のレスリング哲学を持ち、自分の言葉と思想で自分の存在をファンに訴えかけたいが故の
自らの存在ポリシー・アピールで 成り立ってしまう衝突だともいえる。
ブロディのプロレス魂は、今でも 確実に受け継がれております。
そのいい例が、真壁刀義 選手の入場曲は ブロディのと同じ曲です。
(※ただし、#布袋寅泰 さんのカバーバージョンを使用しております※)
【ドーム音質】真壁刀義「IMMIGRANT SONG」【臨場感】
https://youtu.be/AGLKvy0nH6w
毎日、寒い日が続いておりますね。
体を温かくして、お過ごしください。
では、今日もステキな1日をお過ごしください。