今日、9月4日で東京ディズニーシーは開園10周年を迎えました、
その時のスピーチを文面にした内容を配信します。
それでは10年前の東京ディズニーシーへタイムトリップ!!
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2001年9月4日、朝7時30分 セレモニースピーチ
オリエンタルランドの代表取締役 加賀見社長
ディズニー社の会長 マイケルアイズナー
副会長でもありウォルトディズニーの甥にあたるロイ・ディズニー
下記の文面は当日、セレモニーのスピーチを文面にしたものです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「加賀見社長の挨拶」
ゲストの皆様、報道関係の皆様、おはようございます。
オリエンタルランドの加賀見でございます。
冒険とイマジネーションの海へ、ようこそおいでくださいました。
本日は朝早くからお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。
この素晴らしい日を迎えられましたのも、ひとえに1983年の東京ディズ
ニーランド開園以来、18年あまりの間、私どものテーマパークを愛し、ご
来園いただいている、述べ2億7千万人を超える、ゲストを始めとする多く
の関係者のご支援の賜物と、深く深く感謝申し上げます。
そして、本日、この新しいパークとホテルのグランドオープンをこのような
形でゲストの皆様とご一緒に迎えられたということは、私どもにとりまして
、この上ない喜びでございます。
東京ディズニーシーはパーク全体が7つのテーマポートに分かれており、それぞれテーマ性溢れるアトラクション、レストラン、ショップで構成されております。
さらに、この雄大な水面を利用した、スケールの大きなエンターテイメントや、場所ごとに全く違った表情を見せるパークの景観など、全ての面で、これまでどなたもご体験された事のない、新鮮な驚きを感じていただけるパークであると自負しております。
何回来ても、何日滞在しても、新鮮な驚きが発見できる場所、訪れた全てのゲストに、
感動や安らぎを提供できる場所として、東京ディズニーリゾートがいつまでも皆様に愛され、
繰り返おいでいただけるよう、私たちキャスト一同はこれからも全力をあげて努力を続けていく事を
皆様にお約束申し上げます。
どうぞこれからも、末永くご愛顧の程よろしくお願い申し上げます
本日はこのように、朝早い時間からありがとうございます。
「アメリカディズニー CEOマイケルアイズナーの挨拶」
ご来賓、ご臨席の皆様、そして良い子の皆さん、おはようございます。
皆様のこの美しい国にお招きあずかり、そして、大変暖かい歓迎を受けまして、
ロイディズニーと私はいたく感激しております。本日、ウォルトディズニー社は
オリエンタルランド社と共に、ディズニーの歴史において、忘れがたき日となる瞬間を
迎えることができました。
この東京ディズニーシーをみごとな完成度に持っていくに当たり、いちずな信念
やビジョンを注ぎ込んでいただきましたオリエンタルランド社の皆様に対して、
心より感謝の念を表します。
ここにお越しくださるゲストの皆様ひとりひとりに対して、ご挨拶させていただくために、
この美しい港を一望できる位置に記念碑が用意されました。
ここにお集まりいただきました皆様が、まさに初めてのお客様となられますので、
私がこの場をお借りいたしまして、碑文を読まさせていただきます。
冒険とイマジネーションが繰り広げられる世界へようこそ探検家の心を持った
我々ひとりひとりのために、東京ディズニーシーは捧げられます。ここでは皆様ご自身が
船の進路を設定し、冒険、ロマンス、発見、そして喜びを探し求めて、
エキゾチックで感動に満ち溢れているテーマポートへと旅するのです。
東京ディズニージーがこの水の惑星に共存する我々の、心と魂を震わす感動を与えてくれますように
2001年9月4日。
皆さん、この輝かしい太陽を見てくださいありがとうございました。
「ウォルトディズニーの甥 ロイディズニーの挨拶」
ご来賓、ご臨席の皆様、良いこの皆さん、おはようございます
見てください、太陽が出てきました。ディズニーパークがアメリカ国外に作られたのは、
1983年、東京ディズニーランドが初めてのことでした。
そして今日、世界におけるディズニーパークの中では、最も成功している例です。
もちろん、我々が最初に作り上げた、カリフォルニア州にございますディズニーランドを基本として、この東京ディズニーランドは作られました。
本日、今までにない新しいコンセプトを基に、全く異なる表情を見せるパークを皆様に捧げるために、東京に戻ってまいりました。今までのものとは異なるパークとはいえ、
このパークも、他のディズニーパーク同様、夢でしか出会えないような素晴らしい体験ができる、
冒険とイマジネーションを繰り広げる世界へと、我々をいざなってくれる事に変わりはありません。
我が社の創設者であり、私の叔父にあたります。ウォルトディズニーと、父のロイディズニーの
残してくれた、夢を叶えるという意志は今も今も、この東京ディズニーシーという形で
受け継がれているのを目の当たりにしまして、感無量でございます。
ディズニー社一同はこの夢のような素晴らしいパークが完成しましたのも、
オリエンタルランド社の熱意とビジョンなしでは叶える事ができなかったと、
深く胸に刻むと同時に、深く感謝いたしております。
この素晴らしき日を迎える事ができまして、やはりある2人の人物に思いをはせるわけですが、
その2人が今この場に居たのなら、彼らが慣れ親しんできたディズニーランドに並んで、
新しいパークが出現したのを、心を奮わせて喜んだに違いありません。
その2人とは、もちろんウォルトとロイディズニーであります。
ディズニーの精神、彼らが残してくれた“夢をかなえる”という遺志が受け継がれているのを見て、
ウォルトとロイディズニーの存在を感じざるをえません。本当の意味で、彼らが我々と共に
素晴らしき日を祝っているといえるでしょうどうもありがとうございました。
> ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
> この日は朝から雨が降っていてセレモニーが完全バージョンで出来ないかも・・・
> と言われていた。
> しかし、セレモニーが始まると雨がやんで晴れ間が見え始めたのです。
> ロイディズニーがセレモニーで言ったようにウォルトディズニーはディズニーシー
> のオープンを祝福しているのかのように雨がやんだのです。
> そしてもう一人大事な人を忘れてはいけません。その人は・・・・
> オリエンタルランド初代社長 高橋政知さんです。
>
> 高橋さんは東京ディズニーランドの生み親でもあります。
> 1988年、東京ディズニーランドが5周年の時に第2のテーマパーク開発の
> 発表があり、その際、アメリカのディズニー社から高橋さんに言われたのは
> ディズニーMGMスタジオ(映画村)作成を薦められます。そしてアメリカの提案に
> 対して、高橋さんはMGM製作を断るのです。
>
> せっかく海を埋めてまで作った舞浜の土地、漁業組合の方の思いがあった。
> MGMと言う洋画の文化がまだ日本に来ていない中で映画のテーマパークを作るのを
> 反対しました。
高橋さんは
「日本人になじみのあるテーマパークを作りたい。だから海をテーマにつくるんだ!!」
この言葉にアメリカのディズニー社は困っていました。
今までアメリカで成功したテーマパークが日本に持っていけない、、しかも
海をテーマにしたディズニーのテーマパーク案は何もない、、
> アメリカサイトとしてはMGMを作り、1990年代にパークを完成させて営業する
> はずでした。アメリカのディズニー社とOLCサイトで長期にわたる話し会いの結果、
> 高橋さんの意見が取り入れて海をテーマにしたディズニーシーが開発される事にな
> った。
東京ディズニーシーは全てがオリジナルになったので開発、製造に時間がかかり
第2のテーマパークの完成が予定より5年以上遅れてオープンとなる。
そして高橋さんは東京ディズニーシーの完成するの誰よりも楽しみしており、
「完成したら1番のゲストになって酒を飲んでやるんだ!!」
と言っていたそうです。
しかし、彼の思いは叶わず、オープンする1年前、2000年1月に他界されてしまいました。
2001年9月4日、この日はディズニーシーオープンでもあり、アメリカのディズニーと
OLC社が高橋さんの思いを忘れない為に、高橋さんの誕生日をオープンの日にしたのです。
東京ディズニーシー10周年 高橋政知さん98歳の誕生日おめでとうございます。
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その時のスピーチを文面にした内容を配信します。
それでは10年前の東京ディズニーシーへタイムトリップ!!
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2001年9月4日、朝7時30分 セレモニースピーチ
オリエンタルランドの代表取締役 加賀見社長
ディズニー社の会長 マイケルアイズナー
副会長でもありウォルトディズニーの甥にあたるロイ・ディズニー
下記の文面は当日、セレモニーのスピーチを文面にしたものです。
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「加賀見社長の挨拶」
ゲストの皆様、報道関係の皆様、おはようございます。
オリエンタルランドの加賀見でございます。
冒険とイマジネーションの海へ、ようこそおいでくださいました。
本日は朝早くからお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。
この素晴らしい日を迎えられましたのも、ひとえに1983年の東京ディズ
ニーランド開園以来、18年あまりの間、私どものテーマパークを愛し、ご
来園いただいている、述べ2億7千万人を超える、ゲストを始めとする多く
の関係者のご支援の賜物と、深く深く感謝申し上げます。
そして、本日、この新しいパークとホテルのグランドオープンをこのような
形でゲストの皆様とご一緒に迎えられたということは、私どもにとりまして
、この上ない喜びでございます。
東京ディズニーシーはパーク全体が7つのテーマポートに分かれており、それぞれテーマ性溢れるアトラクション、レストラン、ショップで構成されております。
さらに、この雄大な水面を利用した、スケールの大きなエンターテイメントや、場所ごとに全く違った表情を見せるパークの景観など、全ての面で、これまでどなたもご体験された事のない、新鮮な驚きを感じていただけるパークであると自負しております。
何回来ても、何日滞在しても、新鮮な驚きが発見できる場所、訪れた全てのゲストに、
感動や安らぎを提供できる場所として、東京ディズニーリゾートがいつまでも皆様に愛され、
繰り返おいでいただけるよう、私たちキャスト一同はこれからも全力をあげて努力を続けていく事を
皆様にお約束申し上げます。
どうぞこれからも、末永くご愛顧の程よろしくお願い申し上げます
本日はこのように、朝早い時間からありがとうございます。
「アメリカディズニー CEOマイケルアイズナーの挨拶」
ご来賓、ご臨席の皆様、そして良い子の皆さん、おはようございます。
皆様のこの美しい国にお招きあずかり、そして、大変暖かい歓迎を受けまして、
ロイディズニーと私はいたく感激しております。本日、ウォルトディズニー社は
オリエンタルランド社と共に、ディズニーの歴史において、忘れがたき日となる瞬間を
迎えることができました。
この東京ディズニーシーをみごとな完成度に持っていくに当たり、いちずな信念
やビジョンを注ぎ込んでいただきましたオリエンタルランド社の皆様に対して、
心より感謝の念を表します。
ここにお越しくださるゲストの皆様ひとりひとりに対して、ご挨拶させていただくために、
この美しい港を一望できる位置に記念碑が用意されました。
ここにお集まりいただきました皆様が、まさに初めてのお客様となられますので、
私がこの場をお借りいたしまして、碑文を読まさせていただきます。
冒険とイマジネーションが繰り広げられる世界へようこそ探検家の心を持った
我々ひとりひとりのために、東京ディズニーシーは捧げられます。ここでは皆様ご自身が
船の進路を設定し、冒険、ロマンス、発見、そして喜びを探し求めて、
エキゾチックで感動に満ち溢れているテーマポートへと旅するのです。
東京ディズニージーがこの水の惑星に共存する我々の、心と魂を震わす感動を与えてくれますように
2001年9月4日。
皆さん、この輝かしい太陽を見てくださいありがとうございました。
「ウォルトディズニーの甥 ロイディズニーの挨拶」
ご来賓、ご臨席の皆様、良いこの皆さん、おはようございます
見てください、太陽が出てきました。ディズニーパークがアメリカ国外に作られたのは、
1983年、東京ディズニーランドが初めてのことでした。
そして今日、世界におけるディズニーパークの中では、最も成功している例です。
もちろん、我々が最初に作り上げた、カリフォルニア州にございますディズニーランドを基本として、この東京ディズニーランドは作られました。
本日、今までにない新しいコンセプトを基に、全く異なる表情を見せるパークを皆様に捧げるために、東京に戻ってまいりました。今までのものとは異なるパークとはいえ、
このパークも、他のディズニーパーク同様、夢でしか出会えないような素晴らしい体験ができる、
冒険とイマジネーションを繰り広げる世界へと、我々をいざなってくれる事に変わりはありません。
我が社の創設者であり、私の叔父にあたります。ウォルトディズニーと、父のロイディズニーの
残してくれた、夢を叶えるという意志は今も今も、この東京ディズニーシーという形で
受け継がれているのを目の当たりにしまして、感無量でございます。
ディズニー社一同はこの夢のような素晴らしいパークが完成しましたのも、
オリエンタルランド社の熱意とビジョンなしでは叶える事ができなかったと、
深く胸に刻むと同時に、深く感謝いたしております。
この素晴らしき日を迎える事ができまして、やはりある2人の人物に思いをはせるわけですが、
その2人が今この場に居たのなら、彼らが慣れ親しんできたディズニーランドに並んで、
新しいパークが出現したのを、心を奮わせて喜んだに違いありません。
その2人とは、もちろんウォルトとロイディズニーであります。
ディズニーの精神、彼らが残してくれた“夢をかなえる”という遺志が受け継がれているのを見て、
ウォルトとロイディズニーの存在を感じざるをえません。本当の意味で、彼らが我々と共に
素晴らしき日を祝っているといえるでしょうどうもありがとうございました。
> ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
> この日は朝から雨が降っていてセレモニーが完全バージョンで出来ないかも・・・
> と言われていた。
> しかし、セレモニーが始まると雨がやんで晴れ間が見え始めたのです。
> ロイディズニーがセレモニーで言ったようにウォルトディズニーはディズニーシー
> のオープンを祝福しているのかのように雨がやんだのです。
> そしてもう一人大事な人を忘れてはいけません。その人は・・・・
> オリエンタルランド初代社長 高橋政知さんです。
>
> 高橋さんは東京ディズニーランドの生み親でもあります。
> 1988年、東京ディズニーランドが5周年の時に第2のテーマパーク開発の
> 発表があり、その際、アメリカのディズニー社から高橋さんに言われたのは
> ディズニーMGMスタジオ(映画村)作成を薦められます。そしてアメリカの提案に
> 対して、高橋さんはMGM製作を断るのです。
>
> せっかく海を埋めてまで作った舞浜の土地、漁業組合の方の思いがあった。
> MGMと言う洋画の文化がまだ日本に来ていない中で映画のテーマパークを作るのを
> 反対しました。
高橋さんは
「日本人になじみのあるテーマパークを作りたい。だから海をテーマにつくるんだ!!」
この言葉にアメリカのディズニー社は困っていました。
今までアメリカで成功したテーマパークが日本に持っていけない、、しかも
海をテーマにしたディズニーのテーマパーク案は何もない、、
> アメリカサイトとしてはMGMを作り、1990年代にパークを完成させて営業する
> はずでした。アメリカのディズニー社とOLCサイトで長期にわたる話し会いの結果、
> 高橋さんの意見が取り入れて海をテーマにしたディズニーシーが開発される事にな
> った。
東京ディズニーシーは全てがオリジナルになったので開発、製造に時間がかかり
第2のテーマパークの完成が予定より5年以上遅れてオープンとなる。
そして高橋さんは東京ディズニーシーの完成するの誰よりも楽しみしており、
「完成したら1番のゲストになって酒を飲んでやるんだ!!」
と言っていたそうです。
しかし、彼の思いは叶わず、オープンする1年前、2000年1月に他界されてしまいました。
2001年9月4日、この日はディズニーシーオープンでもあり、アメリカのディズニーと
OLC社が高橋さんの思いを忘れない為に、高橋さんの誕生日をオープンの日にしたのです。
東京ディズニーシー10周年 高橋政知さん98歳の誕生日おめでとうございます。
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