クレア
先日の散歩で、バーニーズ・マウンテン•ドッグのソフィーちゃん(1歳)と出会いました。この近所ではほとんど見かけない犬種ですが、クレアは相手が大型犬だと落ち着いて接することができるようです。
クレア「こんにちは!はじめまして!」
ソフィー「おはようございます!」
すぐに馴染んだのはいいが、なぜかクレアのお尻に顔を寄せ付けるソフィー
ソフィー「。。。何やってんだろ?、何やってんの?、何食べてるの?」
クレア「ボールを噛んでんだよ!、ただそれだけ!」
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ポツダム
ポツダムはベルリンの南西約30 km、電車で約30分のところに位置し、古くはプロイセン王国が栄華を誇った街である。また、ポツダムは第二次世界大戦後旧東ドイツ領に属することになるが、1945年の夏に米・英・ソの首脳(順にトルーマン、チャーチル、スターリン)が日・独に対する戦後処理について話し合ったポツダム会談の場として知られる。また日本に対しては無条件降伏を勧告するポツダム宣言が発せられたことでも名高い。
緑が旧東ドイツ、その他の色は西ドイツの領域、ポツダムはベルリンの南西約30キロ
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2006年9月初旬、プラハからベルリンで1泊したのち、ポツダムに入り数日間滞在した。今回はそのときの旅行の記憶と記録である。
ツェツィーリエンホフ宮殿
ツェツィーリエンホフ宮殿はときのドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がその長男(最後の皇太子)と妃ツェツィーリエのために1913~1916年に建てた居城である。宮殿の名称は妃の名に由来するが、ポツダム会談が行われた場として歴史的に名高い。
我々は会議の初日の午前中、レジストレーションとオープニング・セレモニーが始まる前にツェツィーリエンホフ宮殿を訪れることにした。
ー妻の忘れられない体験ー
少し尾籠(びろう)な話になるが、妻が目撃したやるせなくも温かい話を記録にとどめておく。
妻はトイレが近いのが旅行に際しての障害となっている。この日も出かける前にホテルで用を足していたが、バスに乗って10分もしないうちに、「次のバス停で降りたい」と言い出した。どうも朝食後にコーヒーを飲み過ぎたようだ。さらに10分ほど我慢してようやく目的のバス停で降りたあと、妻はトイレに走った。
ツェツィーリエンホフ宮殿の入り口付近。チケットは真っ直ぐ、トイレは左手の方向と、設置された案内板に示してある。
トイレから戻ってきた妻はようやくスッキリした表情だったが、同時に何か興奮気味だった。「大変な光景を見てしまったわ!」と言う。以下要約すると。。。
婦人用トイレに入るとひどい悪臭が。。どうも欧米系の老婦人が間に合わなくなり直前でそそうをしてしまったようだ。トイレ担当の中年女性は呆然とたたずむのみで、老いた旦那さんが奥さんの衣服の汚れを拭き取ろうとしていたらしい。旦那さんは途方に暮れる老いた奥さんを励まし、「とにかく一度ホテルに戻ろう」と言っていたというのだ。
私はその話を聞いて、やるせなかったが、同時に何故か温もりも感じた。人間だし、しかもお年寄りだから、そのような人間の尊厳が失われるような場に自らを落とし込んでしまうこともあるだろう。旦那さんもえらい。冷静に奥さんのケアができるとは。。私だったらどうするだろう?妻を叱責するような最低の行動だけは決してしないようにしようと誓った。。。以上
ツェツィーリエンホフ宮殿の庭園:赤い花で形取られた五光星は旧ソ連の共産主義を象徴するという。ところで、建物の正面左手のところをよく見ると。。
窓が目のように見える。
ツェツィーリエンホフ宮殿の庭園を通り抜けてハイリガー湖岸へ:曇り空の切れ間から太陽の光が差し込み、湖の水面が光り輝く。
ハイリガー湖岸からの眺め:ツェツィーリエンホフ宮殿方面の眺め
ブランデンブルク門
ブランデンブルク門といえばベルリンのシンボルであるが、ポツダムにある同名の門は七年戦争(1754〜1763)の戦勝記念碑として1771年に完成した。
ポツダムのブランデンブルク門
ブランデンブルク門から東に続く商店街
サンスーシ宮殿
プロイセン王国のフリードリヒ大王(フリードリヒ2世)が1745〜1747年に建てたロココ式の大宮殿。サンスーシとはフランス語の「Sans Souci」、without worriesの意で、「心配無用の」あるいはお気楽な宮殿という意味だそうだ。
前面に6段のテラスを有し平屋建てのサンスーシ宮殿
庭園内の歴史的風車
庭園内の中国茶館
ボルンシュテット王領地の醸造所レストラン
ビールは1689年からご当地で製造されており、ボルンシュテット・バッファローという銘柄で知られている。
上記市場広場の赤でマークしたあたりで、余興として以下のコントが行われた。
余興として演じられたポツダム巨人連隊のお笑いコント:巨人連隊とはプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1688〜1740年)によって組織された長身の男たちからなる近衛連隊のことである。
お笑いコントを眺める参加者たち
料理自体は口に合わないが、雰囲気はいつも楽しいカンファレンス・ディナー
17世紀か18世紀の衣装を身につけてパンを配る給仕の女性
歴史的には長いこと敵対関係にあったプロイセンのホーエンツォレルン家もオーストリア系のハプスブルク家もともに滅んだ。フランスのブルボン朝もロシアのロマノフ朝も今はない。今や我々は彼らが残した建物や宝飾品などを世界文化遺産として興味深く楽しんでいる。しかし、彼らの栄華の裏で圧政や戦争により多くの人々の血が流れたことを考えると、日本で今の時代に生きる我々は幸せなのかもしれない。富んでいようが貧しかろうが時間だけは平等に流れていく。人の一生は積分すればそれほど大きな違いはない。残りの人生を後悔しないよう楽しもうと思う。





















