以下は、文顯進会長の「コリアン・ドリーム」の本の中からです。

 

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今日のアイデンティティーによる葛藤が招く否定的な影響を克服するため、今まさに世界は、指導者を必要としている。そのリーダーシップは、最初はそれぞれの信仰心から始まったとしても、その宗教の狭い枠組みの利益に縛られることなく、人類一家族のために何が善であるかを追求するものだ。信仰の力は、分裂や葛藤を解消し、倫理的な社会を建設するよう人々を刺激し、導き、動機を付与する役割を果たすことができる。

 

私はこれを精神的指導者と呼ぶ。それは異なる宗教と背景を持った人々を、共通の願い、原則、価値などの土台を通して一つにし、宗教の過激化や宗教の政治化に対抗する力となる。(中略)

 

教理を歪曲して政治的に解釈する急進的宗教は、全世界の偉大な宗教の伝統を直接脅かしている。アイデンティティーに根差したこのような葛藤は、中東の例のように衝突を巻き起こし、迫害とテロによって他宗教を過激化させる素地をつくり出す。さらにこれらは、西欧社会の平和と安定を脅かすのみならず、核物質が過激派グループや国家の手に渡る危険性を高めることにも繋がる。宗教の旗印の下、暴力的急進主義は行動を正当化しようとする。その主張そのものが間違っていると明示する宗教指導者が必要だ。暴力は、宗教本来の精神や根本原理、価値から全く反していることを、彼らに示さなければならない。

 

そのためには、宗教指導者自ら、自分の属する特定教派の垣根を越えて、全人類の幸福を願う必要がある。これこそが、精神的ならぬ政治的目的のため、教理を歪め信仰心を乗っ取ろうとする過激派分子に対抗する唯一の手段である。信仰ある人々はこの時代の平和の担い手となるため、過激派の意志とは反対に、普遍的な原則を体現し、各宗教の創設者が教える価値を実践することに懸命であるべきだ。

 

この点が私にとって、精神的指導者(スピリチュアル・リーダー)と宗教的指導者(レリジャス・リーダー)を区分する基準となる。精神的指導者は、伝統的な宗教指導者の役割を超えて、創造主である神に仕え、全人類に奉仕する人である。(中略)

 

多くの宗教的指導者や宗教組織は、自分達の教理や伝統のみが、真理と救済に至る道だと主張している。しかし宗教学を学んだ私の見解としては、 “教理や伝統”と呼ばれるものの大半は、宗教創始者の死後、これらを制度化しようとした弟子達によってつくられたものだ。宗教創始者達が語った実際の教えを紐解けば、多くの宗教における信仰が、互いに相通ずる精神を持っていることがわかる。実に神秘的なことだ。

 

実際、いかなる宗教も、真理そのものを独占することはできない。真理は普遍的なものであり、これを追求する宗教のほとんどで自然に表現されている。私は、様々な宗教が持つ特有の貢献や美徳をないがしろにしているのではない。信仰の目的が、世俗的目標でなく、精神的目標(スピリチュアル・ゴール)の達成にあるという事実を強調したいのだ。その精神的目標の観点から考えれば、世界の全宗教が、それぞれの教理や信条を除いてすべて同じ目的と原則、価値を共有している、というのが私の見解である。さらには、教義に説かれる「真理」と「信仰」が明白なら、神の願いである「他者のために生きる」実践が重んじられ、真の平和や調和の世界を実現できるはずなのだ。

 

創造主としての神は、すべての宗教の創設と発展の背後に内在する霊性そのものだ。ある特定の宗教が独占できるものではない。私はそう確信している。このような私の考え方は、私の家庭で受け継いだ内容に端を発する

 

私の父は、すべての宗教を尊重し、すべての宗教には各々天から賦与された使命があると信じていた。また、宗教の違いは、それが誕生した地域の歴史や文化的な背景を反映したもので、根本的には神の霊性によって創始されたものであると説いた。父は自叙伝において、すべての宗教が平和の理想世界を目指す様相を、流れる川のイメージに喩えている。(中略)

 

私の父は、真の精神的指導者(スピリチュアル・リーダー)である。たとえ多くの人々が父を一宗教団体の創始者と理解していたとしても、彼の考えとその最も大きな目的は、父の自叙伝『平和を愛する世界人として』の中に凝縮されている。私の父は数多くの集会で、信徒達を前に、人類のためなら喜んで教会組織を犠牲にすると宣言していた。父本人は全生涯を通じて自らの使命を忘れることはなかったが、父に付き従う多くの弟子達は、その組織と資産の拡大に執心していた。私は、創立者の説教の中に記録されている精神的な教えとビジョンが、世俗的な基盤を築くことに汲々とした弟子達によって片隅に追いやられてしまった様を目の当たりにした。彼らは、霊的な力は政治権力や財産からではなく、永遠の真理を代弁する道徳的権威から生ずるものであるという事実を悟ることができなかった。

 

私はこうした経験と観察から、すべての宗教・教派は、その内部で何かしらの葛藤を抱えていると見ている。つまり、理想のための真理に忠実であろうとする人々と、宗教の組織的遺産を固守しようとする者達との間の葛藤である。アイデンティティーの違いに端を発する葛藤が人類の存亡を脅かす今日のような世界で、宗教を信仰する人々が各々の創始者の教えに忠実であろうとすることで狭い私欲を克服し、崇高な平和の担い手になることは、道徳的な要請に他ならない。