「完成とは関係性を基にしている」という、文顯進会長の説明を昨日引用しました。何かが完成したか、していないか、というのは、創造者にしかわからない事で、人間が創造主から認定を受ける事なく、自分だけで「完成した」と言う事はできません。そして、人間の完成とは何かを語れる人は、神様との直接的関係を持った人だけのはずです。私達にはそのような人が必要で、真の父母の使命を背負い、真の家庭の使命を背負ってくださる方たちが必要です。

 

文鮮明師は、平和メッセージ14において、「四大心情圏と三大王権は、堕落する前のアダムとエバの完成を意味します」と語っています。言い換えれば、原理講論の中で完成圏(直接主管圏)と表現されている圏に至るには、四大心情圏と三大王権を成し遂げる事が必要である事が示されていると解釈できます。それを昨日の文章でも書こうとしました。

 

そして、その完成圏(直接主管圏)は、まずアダムとエバの家庭でなされるはずだったように、人類の中で真の父母、真の家庭の先例を立てる人達がまず現れる事が必要で、私達祝福家庭は、そこに接木される人達です。天聖教では、祝福家庭はカインの子女である皇族圏として復帰されるというお話をしています。本来、堕落圏から復帰された私達が皇族圏に復帰されるというのは、おこがましい事で、それでも皇族圏に復帰されるということは、大きな恩恵を意味します。

 

神様の願いは、人類全体を復帰して、皇族圏として抱く事であり、それを天聖経の中でも、文鮮明師は以下のように表現しています。

 

「五十億人類は、長子権の直系王権を受け継いだ王家の親族です。その皇族圏の心情を体恤した人々が天国に入っていくようになっているのです。」

 

そのように全人類が抱かれていくためには、土台の上に立てられた出発点が必要になるはずです。それが基元節として意図されていたと考えられます。基元節というのは、真の父母の理想、真の家庭の理想、神様の主権の理想が定着することを条件として捧げられるはずでした。文鮮明師は、天聖経の中で以下のように語っていますが、摂理がどこに向かおうとしていたのか、示すお話です。

 

「縦的な王権が主体です。この縦的な王権と横的な皇族圏が一つになり、より大きな統一された世界をつくるのです。そこで神様と連結されるのです。最高の相対と連結されるというのです。」

 

「先生が国さえ取り戻し、王権を備えるようになれば、皇族圏を編成していくのです。」

 

しかし、カインの子女であるリーダー達が真のアベルである文顯進会長に反逆して、エデンの園のカインの過ちを繰り返し、母が父に反逆する中で、エデンの園のエバの過ちが繰り返され、基元節を捧げる条件は失われました。今、統一教会において、独生女思想が語られ、文鮮明師の教えの95%は間違っていたと言われるようになったのは、母が父に反逆した事の証拠です。

 

生命を賭けて基元節を捧げる事を誓っていた文鮮明師は責任を負い、基元節を待たずに文鮮明師が他界されたと思われます。そして、基元節を捧げる使命は、文顯進会長に引き継がれています。

 

祝福家庭には、復帰されたカインとして、アダム家庭を復帰する条件を立てる重要な使命があります。その使命は、文顯進会長が強調するポイントの一つです。

 

(続く)