前回書いたように、ファミリー修練会と原理修練会が続いたのは、人間の霊性を個人の救済の段階から、家庭の救済の段階に神様が引き上げる時代である、という事を考えるチャンスとなりました。

 

さて、原理講論の復活論には、地上人に対する復活摂理が秩序的3段階を経て完成するようになっていると説明されていて、それが、1)蘇生復活摂理、2)長成復活摂理、3)完成復活摂理です。お馴染みの3本線で説明される講義となり、原理講論には以下の内容の図があります。

詳しくは書きませんが、御存知のように、原理講論には、「この時代における人間は再臨主を信じ侍って、霊肉共に完全に復活され、その霊人体は生霊体級を完成するようになる」とあり、そこに堕落圏から復帰される私達が至るには、長成期完成級で祝福を受ける必要があるという説明が原理講義ではなされます。

 

しかし、これを聞いていた40年以上も前、私は、この話が、人間の霊性を個人の救済の段階から、家庭の救済の段階に神様が引き上げる時代であるとは理解しませんでした。当時は、四大心情圏と三大王権も、文鮮明師はまだしていませんでした。

 

短く説明しようとして省略しすぎた説明になる可能性もあるのを覚悟しながら書きますが、四大心情圏と三大王権とは家庭を単位として成し遂げられるもので、そのためには、祝福を受けて完成期の責任分担を果たす必要があり、真の家庭の先例が必要です。それは、神様の家庭理想を全世界的に拡大する道となり、キリスト教の人も、イスラム教の人も、改宗する事なく、神様の下の一家族世界を成す神様の摂理に招かれる事を意味します。

 

しかし、家庭の救済の摂理である事や四大心情圏と三大王権を知らずに、復活論を聞くと、1)蘇生復活摂理であるユダヤ教、2)長成復活摂理であるキリスト教、3)完成復活摂理である統一教会と解釈してしまう可能性があり、講師によってはそのように説明する人もいました。

 

しかし、そのような理解は、統一教会員である事を過大評価する傾向を生み出し、また、完成復活摂理に参画して生霊体級を完成するには、統一教会に改宗しなければならないという考えを定着させてしまったのかも知れません。また、そのような理解は、統一教会が組織としてすることは全て正当化される善であるかのような誤解を生み、反社会性的言動を生み出す原因となったのかも知れません。

 

私は正直言って、文鮮明師が四大心情圏と三大王権について語った時、家庭盟誓で唱えていたものの、その概念に関して理解しても、重要性について理解していたとは思いません。もしも、今の時代が、「人間の霊性を個人の救済の段階から、家庭の救済の段階に神様が引き上げる時代」であるという観点で四大心情圏と三大王権を見ていたのなら、全く次元の違う理解をしていたかも知れません。

 

1993年版の統一思想要綱の最後には、付録として四大心情圏と三大王権の意義という節が付け加えられています。統一思想と言えば、哲学的内容が多いのですが、私はどうしてその最後に、四大心情圏と三大王権の話が付け加えられたのか、ピンと来ていませんでした。また、文鮮明師が女性修練会、男性修練会で語ったお話を集めた訪韓修練会御言集という、1994年に出版された本がありますが、その最後のお話も四大心情圏と三大王権です。

 

1990年代半ばは、文鮮明師が教会時代の終わりを宣言して、家庭連合に転換した時期でした。文鮮明師は2004年4月30日のお話の中で、統一運動の第一ステージは宗教分野で個人の救済が主題だった時代であり、次のステージは、天国の基本単位である真の家庭をなす運動をする段階であると語っています。

 

それは、文顯進会長の表現によれば、「人間の霊性を個人の救済の段階から、家庭の救済の段階に神様が引き上げる時代」ということになります。その観点から、四大心情圏と三大王権の重要性を理解していたかと言えば、そうではなかったのを思い出します。

 

自分が足らなかった部分を自覚するようになると後悔というのが出てくることもありますが、水が半分のコップを見た時に、「半分しかない」と思うのか、「半分もある」と思うのか、それを自分で決めながら参加した、ファミリー修練会と原理修練会でした。

 

(続く)