文鮮明師の「アダムの骨髄」というお話と、文顯進会長の「縦的軸」というお話というお話に私は一貫性を感じると、前回書きました。神学的な内容が、実感として少しでも感じられるように、体験を交えて書きます。

 

このシリーズの中で、生死を賭けて無期限の断食をした時の事を書きましたが、それは「イエス様の骨肉に入るといっても、肉体は入れないよ。心情しかない。愛しかないんだよ。」という、文鮮明師の語る血統転換に関わる体験でした。

 

その約1年後、私はもう一度、心の中の基準において、その体験を繰り返す事をしました。車中泊をしながら、極端に睡眠と食事を削って、朝から晩まで一日中走り回るような期間でした。肉体的状況が無期限断食に似てきた時、私の心は、無期限断食の時の心のレベルを思い出しました。心に力を入れるというか、一種の気合いの中で、心は天に伸びました。そこで悟ったのが、「真の父母は自分の父母、真の子女は私の兄姉、そこに連結される方法(道)は、絶対的投入のような無私の愛」という事でした。涙の中で、「これが私が渡米する前に悟るべき内容だった」と感じました。

 

当時は縦的軸という言葉も無く、直感と情の内容をどのように表現したらわかってもらえるのかもわかりませんでした。ただ自分の悟った内容が、血統転換に結びついている事は感じました。それから2年ほどして、文鮮明師によりマッチングを受けました。ちょうど、文顯進会長が祝福を受けた時でした。

 

マッチングは、この世の解釈では、ただ結婚相手が決まる事ですが、私はマッチングの後、もう一度、縦的軸の世界に入り、相対との横のつながりが、縦的軸と九十度になる時に、相対との関係が一対一の絶対の関係になるのを体験しました。それを通して、「父子関係と夫婦関係は互いに直角(九〇度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさる事によって、全ての愛の関係が球形を成します(天聖経)」という文鮮明師のお話を理解しました。

 

それから祝福式に参加するまでが2年でした。

 

祝福式を受けてから約4年後に文顯進会長に出会い、その下で働くようになりました。最初の頃、文顯進会長は、縦的伝統という言葉をよく使う事がありました。その後、縦的軸という言葉を聞くようになりましたが、私は自分の体験を土台に、縦的伝統や縦的軸というお話を理解しました。

 

でも、縦的伝統や縦的軸を悟ったら終わりというわけではありません。その後があります。その後の課題で大きく現れたのが、文顯進会長とのアベル・カイン関係でした。ある程度突破できるまで7年ほどかかりました。文顯進会長の1998年の就任式は、まだ突破できる前だったと記憶しています。突破できる前だったので、就任式で世界のリーダー達が集まり祝うのを見る中で、「ようやく自分のような不足なものではなくて、このような立派な人たちがカインの子女として使命を果たしてくれる」と思っていましたが、間違っていたのは数年後にわかりました。

 

私自身が「血統転換を大切に思うか」とか、「血統転換はされたのか」と問われれば、答えはイエスです。でも、「今の時代は、個人の救済の時代から家庭の救済の時代に摂理的に引き上がる時代」という、文顯進会長が語る課題が解決されていかないといけない時です。ですから、過去の一つ一つのステップに戻れば、それは今でも土台になってはいるのですが、話の焦点が、昔とは違うという事はある、と思います。

 

例えば、文顯進会長のお話でも、四大心情圏と三大王権のお話が増えています。これは、血統転換の段階のお話からさらに進んで、血統を顕現し定着させる内容です。

 

人間は堕落により、血統的な神様との父子関係を失ったのですが、平和メッセージ1で文鮮明師が語ったように、父子関係の特性とは、「真の愛と真の生命と真の血統の関係」であり、血統は実りのようなものです。血統は転換されただけで終わりではありません。家庭の中で、過去、現在、未来を象徴する三代が、永遠を象徴するために必要です。三大王権は、真の家庭が先例を立て、祝福家庭が自分の家庭で成就するものです。

 

その家庭は、ただ子孫が継続する家庭では、神様との父子関係を持った人間の家庭とは言えないのは明らかで、息子娘、兄弟姉妹、夫婦、父母、それぞれが神様との父子関係を持って、神様の御旨に合致(アライン)して、四大心情圏の家庭になるのがモデルであり、それが人間の完成への道だ、というお話を、文顯進会長はします。

 

神学的に説明しようとすると難しくなる内容ですが、小さな子供にも理解させる必要があります。それは、四大心情圏は、家族全体でなすものだからです。ですから、説明する相手によって、表現の仕方は変わるのですが、本質は一貫しています。

 

文顯進会長は、私たち人間が永遠に成長を続ける存在である事を語ります。私たち自身を考えてみても、家庭を持つ前の独身時代にどれほど神様に献身していたとしても、その経験は独身の経験であり、夫婦になり子供を持つことは経験できません。また、子供を持ったとしても、孫ができるまで祖父母の経験はできません。似ているのですが、神様がどのような方で、人間とはどのようなものかというのは、経験と成長の中で、深まって行くものです。

 

ですから、「御旨と世界」の中で語られていた血統が、四大心情圏と三大王権をモデルとして、新たな角度から語られたとしても、不思議ではなく、そこには発展があります。その発展と成長の道を示すのが、真の父母と真の家庭であり、先例を示す、ということになります。そして、祝福家庭は、その先例を見ながら、世界に先例を示すというのが意図されている、と理解できます。