文鮮明師がダンベリーに入り、「御旨と世界」が出版された時期から、文顯進会長が後継者として登場した1998年までの時期というのは、大きな転換の時期でした。荒野時代から定着時代への転換、宗教の時代を象徴する統一教会から家庭連合への転換、真の父母宣布、そして韓総裁が前面に立って女性連合を展開した時代がありました。韓総裁が前面に立った、その7年を「女の全権時代」と文鮮明師が呼びました。その「女の全権時代」が終わるのを前に、文鮮明師は第四次アダム圏というお話を始められ、文顯進会長が後継者である事が明らかにされ、父子協助時代、三大王権、神様の王権と展開しました。

 

正直、荒野時代から定着時代への転換に象徴される時代は、とても把握するのが難しい時代だったと思います。その転換は御言を通して伝えられました。でも、もっと現実的に大きな影響力を教会員に持つのは、統一教会内の慣習と文化です。「お父様!」と文鮮明師を呼ぶ心は、例えば、「御旨と世界」の中の、「生死の境」「基準として悪の血統が清められていく」というお話に通じるものがあります。ですから、「お父様の願い」となれば、統一教会員はどんなこともするようになっていた、と思います。

 

文顯進会長は、「原理講論で明らかなように、お父様は、『ただイエス様を信じれば救われると信じる』とイエス様を神格化する、キリスト教の不十分さを指摘したのに、統一教会の元老は、そのキリスト教の信条を持ち込んで、イエス様を真の父母様に置き換えて、『ただ真の父母様を信じて祝福を受ければ天国に行く』と考えました」と指摘します。

 

確かに、「御旨と世界」にあるように、文鮮明師は、「血統的転換をさせるには、アダムの骨髄の中まで、骨肉の真ん中まで行」く必要があるというお話をされています。でもそれが全てでしょうか?「御旨と世界」には、7年期間のお話があり、「誰でも、母親が現れる前に、真の父と一体化しなければならない七年期間があるのであります」とあります。

 

摂理的展開の中で長かったり短かったりしたものの、7年期間というのは、教会員が祝福を受けるまでの期間として、意識されていたと思います。でも、人生は7年で終わらず、祝福を受けた後の人生がより重要な期間だったはずです。

 

これも文顯進会長が指摘することですが、「統一教会のリーダー達は、祝福を、受ければ天国に行く、天国行きのチケット、あるいは、目的地であるかのように教えました。本当は、祝福とは、出発点だったのです」と語られます。つまり、祝福を受けて出発し、責任分担を果たすというのが原理的理解だという事です。

 

前述したように、荒野40年路程が終わって、カナン定着時代に転換していく時代というのは、把握するのが難しい時代でした。2009年からの分裂で明らかになったのは、教会に象徴される宗教の時代が終わり、家庭救援の時代に転換されるはずだったのに、それができなかったという事です。

 

宗教の時代から家庭救援の時代に転換させるのにも人間が責任分担を果たすことが不可欠であり、また私たち自身が祝福を受けた後、自分と自分の家庭を完成させて行くのにも、原理的に人間の責任分担を果たす事が不可欠です。

 

もちろん、「アダムの骨髄の中まで、骨肉の真ん中まで行」くという文鮮明師のお話が失われるのではありません。文顯進会長は、縦的軸という言葉を使うのですが、私はその縦的軸というお話とアダムの骨髄というお話に一貫性を感じます。

 

(続く)