文鮮明師のお話を引用しながら説明する必要性を感じながらも、引用して証明しようとすると長くなり、全体が見え難くなるマイナス面が出てきてしまうのですが、御了承願いたいと思います。

 

以下は「御旨と世界」の中の、「復帰の道」からです。

 

「堕落する前に、既に息子や娘の生命は、すべて、父親なるアダムの体中で、一つの種として出発していたはずであります。すなわち、息子や娘になる種は父親の体中にあるのです。(中略)このように、根本的に考えてみると、我々は、霊的にのみ生まれるということで満足はできません。霊と肉すなわち霊肉共に生まれなければならないのであります。そのために、我々は霊肉共に再出発するために、種の立場にまで立ち返らなければならないのであります。その摂理を成就するために、イエス様は、真の父母となるところの花婿と花嫁が来て、その真の父母を通して我々は再び蒔かれる種に立ち返り、新しい生命として、この世に生み直されて出てくるということを約束されたのであります。」

 

父なるアダムの種が生命の出発点であり、種の立場に帰って生み直されるというお話です。そこに繋がるのが、昨日、「血統的転換」から引用した、「血統的転換をさせるには、アダムの骨髄の中まで、骨肉の真ん中まで行って、将来の子供になるべきその原姻に、神の愛と結束した勝利的条件を満た」さないといけなくて、「死ぬか生きるかの、その境地を通過しなければ清められない」というお話であると考えられます。

 

「復帰の道」の中では、真の父と一体化する期間を7年期間であると以下のように語っています。

 

「このようなわけで、誰でも、母親が現れる前に、真の父と一体化しなければならない七年期間があるのであります。ですから、皆さんはまだ結婚していないので、完成したアダムの体中の種の立場に帰っていくのです。恨源そのものにまっすぐ立ち返っていくのです。すなわち、我々はみんな、堕落しない人間である父親から出発しなければならないということです。」

 

しかし、「死ぬか生きるかの、その境地を通過」するだけで終わりではなく、7年で終わるのでもありません。

 

「復帰の道」には、上記のお話の続けて、真の母と真の子女の必要性に話が続いています。

 

まず、真の母の必要性で、以下のように語っています。

 

「我々はみんな、堕落しない人間である父親から出発しなければならないということです。つまり、堕落しない独身のアダムの体から出発した種が、母親の胎内に身ごもられねばならないのであります。そこにある種は、本物であり、我々はその位置に帰らねばなりません。」

 

次に、真の子女の必要性です。

 

「もちろん、既に肉身をもって生まれ、成長してしまった我々は、文字どおりに、完成したアダムの体中の種の立場に返ることはできません。ですから、我々は、真の父母および、その父母から生まれられた真の子女と一体化することによって、再び生まれるための条件を立てていくわけであります。カインとして、完全にアベルに屈服することによって、両者とも復帰されるという原理があるので、この原理により、我々カインの立場にあるものは、アベルであるところの真の父母、真の罪なき子女と一体化しなければならないのであります。彼らと一体化することにより、我々は復帰された子女として、同じ恵みを受けることができるのであります。それゆえに、真の罪なき子女が、真の父母を通して生まれられる時、我々は、食物やその他、同じ成分のものを分かち受けるための条件を立てなければならないのであります。このようにして、我々は真の子女の立場に参与する路程を通過していかねばならないのであります。」

 

このお話だけでは、真の子女が生まれる時に条件を立てればそれで真の子女と一体化が完了するかのような印象を与える可能性もありますが、そうではありません。それは、1990年代になって、三大王権や父子協助摂理に関して文鮮明師が語るようになると、大きな課題として現れました。

 

このお話をされていたのは1972年で、1969年生まれの文顯進会長は、まだ小さかった頃です。いかに真の子女として生まれたと言っても、自分の責任分担があります。真の家庭が歩む道は、簡単なものではありませんでした。

 

「復帰の道」においても、上記のお話をした後で、「これらのことは、ほんの骨組みであり、非常に簡単な説明であります。これらの説明の背後には、非常に深く複雑な過程があることを知らなければなりません。」と語っています。実際、1972年以降、文鮮明師の家庭は複雑な事を通過する事になりました。1998年に、文鮮明師が明らかにした後継者は、最初に生まれた男子ではなく、三男として生まれた文顯進会長でした。

 

しかし、人間の責任分担によって人物や路程に変化が現れるとしても、神様の御旨成就の予定は変わりません。神様が予定されたものに関して、「復帰の道」において、文鮮明師は以下のように語っています。

 

「これらの罪なき真の子女の誕生により、天的四位基台は、歴史上初めて復帰されるのであります。これが、我々統一教会における天的四位基台の復帰であり、サタン世界の何ものも、この基台に対して触れることはできないのであります。選民国家が復帰されなかったために、天的四位基台という一点から始まって、家庭的基準から氏族、民族さらに国家的基準へと拡大していく路程を通らねばならないのであります。」

 

(続く)