遥かなるホルンのこだま | Pacific231のブログ -under construction-

Pacific231のブログ -under construction-

O, Mensch! Gib Acht! Was spricht die tiefe Mitternacht?

ヨーロッパの田園風景の映像などを見ていると、ふとホルンの響きが聴こえるように感じることがある。
アルペンホルンなんていう単純な連想ではない。

風景

何と言うのだろう、うまく表現できないが、何かの思いというか、憧憬というか、切なる心の声のようなものが遠くの風景に吸い込まれるように消えていく感じである。

音楽表現においては、ある一つの共通項を見つけることができるように思う。多くの場合、木管の動機をホルンがこだまのように返す、という形が多いようだ。
そうした例を思いつくままに挙げてみる。

まずはベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」から。
第4楽章から第5楽章に移るブリッジ部分、そう、例のあそこである。

http://www.youtube.com/watch?v=YtNRXTCgZws#t=33m43s
アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クリュイタンス・田園

雷雨が過ぎ去り、差し始めた陽光のもと、牧童の笛が遥かな山々にこだまする。
これを単なる自然描写と受け取ってしまっては、音楽を聴く楽しみは半減する。
すでにロマン主義的な手法であって、故・諸井誠氏など、ベートーヴェンは「ロマン派として聴くべし!」と書いていた。

少し後のシューベルト、交響曲第7(8)番ロ短調「未完成」。新ドイチュ版では長年慣れ親しんだ「第8番」が第7番ということになってしまったが、それは置いておくとして、第2楽章アンダンテ・コン・モートの中間部のこの部分。

http://www.youtube.com/watch?v=oLaEbWgErKk#t=16m21s
小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団
小澤・未完成

この何とも言えない音色彩、その中に木管の響きを映しながら、自らもこだましつつ消えてゆくホルン。
岩井宏之氏は未完成交響曲について、「その色彩感が新しい時代の到来を告げている」と書いていたが、まさに古典派以前には無かった音色彩であり和声処理であると思う。

さらに時代は下って、ブラームス。
交響曲第1番ハ短調 Op.68、奇しくもベートーヴェンの6番と作品番号が同じである。
その第1楽章コデッタの直前部分。

http://www.youtube.com/watch?v=c9--RfuHP50#t=5m30s
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団=LIVE

ベーム・ブラームス

ブラームスらしくやや屈折した感はあるが、これもロマン派ならではの表現。
ピアノ協奏曲第1番、第1楽章のコデッタでもよく似た表現が見られる。

最後にブルックナー、交響曲第5番変ロ長調から
第1楽章コデッタの最後。

http://www.youtube.com/watch?v=s31LpOArA38#t=9m36s
ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 (超名演!)
ケンペ・ブルックナー

これはホルンがこだまするというより木管と歌い交わす感じだが、薄日の差す大自然の風景のそこここに名もない花々がひっそりと咲いているイメージだろうか。

こうした表現はなぜかコデッタ(ソナタ形式の小結尾)に多い。ひと通り音楽を聴かせたあと、展開部に入る前に“遥かな憧憬と慰安”を思わせる楽句で提示部を締めくくるのだ。
これはロマン派音楽の特質の一つであり、同時にヨーロッパの自然に育まれたものなのだろうと思う。

まだ何か大事な曲を幾つも忘れているような気がするが、思い出したらまた加えてみたい。