いずれ、国会図書館には、収録されると日高副会長は言われてましたが、
貴重な第一号、昨日本部でみせていただきました。

ちょっと簡単なメモと感想で記事にしてみました。

全15ページ。
発行日 昭和45年12月  ←まだ、小学五年生のころ。1970年 万博の年ですね。
患者の会としての、第一回総会が、昭和45.6.13。半年後ですね。
             ただ、三井先生を中心とした「先生方によるペースメーカー友の会」は
             昭和41年以来東大で行われていたようです。
編集責任者 星川和子  ←早川先生の本にありましたが、最初から第七号まで、編集にあたられた
             ようです。
発行所 ペースメーカー友の会
印刷所 虚空タイプ

目次だけは、そのまま、載せても許していただけますかね。(関係者の方で、万が一読まれて
掲載まずいようでしたら、ご連絡いただければすぐ消去いたします。)

目次
ペースメーカー友の会会誌によせて  東京大学医学部胸部外科 三枝正裕 1
「原子力ペースメーカー」のことなど 東京大学医学部胸部外科 三井利夫 2
ペースメーカー友の会会長
すべて神のみ心のままに       昭和44.11.14 手術 早川 寛斉   3
運動会               昭和41.12.07 手術 大島 照子   4
私の近況              昭和42.12.20 手術 中村 進    5
身体障害者手帳「4級」をもらって   昭和43.5.15 手術 赤石 亀太郎  6
医を心の友として          昭和43.05.20 手術 武田 広助   7
私の所感              昭和43.11.18 手術 苗村 正子   8
ペースメーカーのおかげで健康になりました 昭和44.04.09 手術 前川 敬悦   9
私の症例              昭和44.08.06 手術 進藤 カナエ  11
編集にあたって                     星川 和子  12
相談役と新入会員の紹介                        13
パパありがとう           昭和45.08.24 手術 飯野 かおり  15

お気づきの通り、名前の前に、いつ手術したかが書いてあります。
これは、第一号のみのようで、第二号からは、消えてます。

ちょっと驚いたのが、いきなり、「原子力ペースメーカー」の話が載っていて、当時は、
フランスで二例、イギリスで二例、埋め込まれて、結果良好とのこと。
ただし、水銀電池で三年の寿命をプルトニウム238の核分裂のエネルギーを使って10年に延ばそうと
いうことだったようです。(この時点では、意外と早く量産されるかもという記事になってます。)
この話題は、初めて読んだので、その後、どうなったのかは、知りませんが、ビックりしました。

その後は、各装着者の方の原稿。「編集にあたって」では、やはり、原稿集めの苦労から入り、

その後に、「かていてる」の言葉の由来が。(別の本で、読んでましたが)

そこだけ、抜粋すると、
「尚、会誌のなまえですが、「かていてる」とつけました。
一本の金属が私たちを支えている、あの細くて今にも切れそうな線、皆んな同じものをもっている。
同胞だ、兄弟だ、仲よく、手をつないで行こう。
 又カテーテルのお陰で家庭が明るく家中の顔も光り輝いているとおもい、この名前にしました。」

これが、今までつづいているのですね。
少しづつ、読んで、興味のある部分は、記事にしたいと思ってます。