大坂歌舞伎展(どうして大坂) | パッコル通信

大坂歌舞伎展(どうして大坂)

昼から、大阪歴史博物館で開催されている大坂歌舞伎展を見学しました。本当は、ミラノ展か、ルーブル展に行きたかったのですが、16日の日曜日で終わっていて、「大英博物館で絶賛、優品の里帰り」というバナーにつられて、大阪城すぐ横の歴史博物館に足を運んだのでした。
 
 特別展なので6階のフロアーだけでの開催でした。しかしすごく玄人好みの展示。18世紀後半から19世紀初めにかけての、大坂歌舞伎のひいき筋によるコレクションや役者絵が中心です。大坂の役者絵は江戸のそれと比べて写実的であること。当時大坂では、歌舞伎の黄金期を迎え、二代目嵐吉三郎と三代目中村歌右衛門が競演していたことなどがわかりました。しかし、すごく地味、うーん難しかったです。


 ところで、どうして大阪歌舞伎ではなく大坂歌舞伎なのかご存じですか。大阪は昔は大坂と書きました。しかし、江戸時代の終わり、19世紀初めの『摂陽落穂集』に、「ある人のいはく、大阪と書くに坂の字を用ゆること心得べし、坂の字は土偏に反るといふ、土に反るとあるゆへ忌みきらひ、阜偏に書くべしとなり」とあり、このころから大阪と書く例が現れます。また、幕末の大坂は、幕府の拠点の一つでもあったので、明治政府は「士が反く」(「武士が反乱する」)といって坂の字を嫌い大阪となったとも言われます。
 皆さんのお近くで、道標に「大坂まで何里」とか、神社の灯籠に「寄進大坂何々屋」とあればそれは明治時代以前のものです。

大坂歌舞伎展