『君が僕らを悪魔と呼んだ頃』途中までの感想 | DJ BUTTERの活動日誌

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『君が僕らを悪魔と呼んだ頃』途中までの感想

前々から気になってた漫画『#君が僕らを悪魔と呼んだ頃』を最新話まで一気に読んだ。
過激な設定と衝撃的な展開でスルスルと読み進められる上に、とても考えさせられる。
ネタバレすると冷めてしまう内容だが、今後のストーリーを少し考察してみた。

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■総評

次の話へ繋げるキーワードを必ず話末に入れ、読者の読む手を止まらなくする。この技術は漫画に必須の手法だが、当作品はその巧さがズバ抜けている。
記憶喪失した自分の過去を探り、犯した罪の重さを知っていくという異色さが、読者の興味を惹きつける。謎を解明していくプロセスが、主人公と共に読者の心情も巻き込んで進む展開作りとなっているからだ。
これ以外の最終的な感想は、物語がまだ結末へ至っていないので保留しておこう。

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■トラウマが生む感情のもつれ

この漫画のテーマは、おそらく確実に〝トラウマ〟ということだろう。
過去、様々な人々に危害を加え、その生活や性格を変えてしまった悪魔・斎藤悠介。彼もまた、記憶喪失以前の自分が犯した罪に苛まれている。
当作品では、加害者と被害者の両方で、両極端な〝トラウマ〟を抱えた人々のいびつな感情のもつれを描いていると考える。序盤から登場する斎藤悠介の過去の悪友・会澤が、物語の中でそれを証明している。絶対的な恐怖と恥辱で、相手の精神を屈服させ、支配する。それは、〝トラウマ〟の植え付け以外の何物でもない。その〝トラウマ〟によって人を操っていた悪魔に、今度は過去の所業が〝トラウマ〟となって自身に返ってきたのだ。
精神が育ちきっていない子供だったが故の過ちを、自分自身でどう償うのか。〝トラウマ〟にどう向き合うのか。核心は、おそらくその部分であろう。

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■解明されていない謎について

・悪魔になったキッカケは?

物語の中核を担っている一ノ瀬は、長い時間をかけて斎藤悠介に"愛"という感情を芽生えさせることで、彼の中の悪魔を殺した。しかし、彼が悪魔になるキッカケは描かれていない。
斎藤悠介の家族構成が当然のように母親だけの片親設定となっていて、その設定の真相はまだ明らかとなっていない。父親がいないことが全く描かれないのは、もしかすると悪魔に変貌するキッカケだからではないだろうか。

・タイトルに込められた真意は?

『君が僕らを悪魔と呼んだ頃』というタイトルは、今までの物語を読むと矛盾している。「悪魔」と呼ばれていたのは、斎藤悠介1人のはず。では、『僕ら』は誰を指しているのだろうか。
悪友たちも斎藤悠介を「悪魔」と呼んでいるので、斎藤悠介を含めた悪友全てを総じて『僕ら』としているには無理がある。また、『君』を一ノ瀬と仮定して、彼女を襲った男が斎藤悠介と同属種の人間であること、それを『僕ら』と称しているとも考えにくい。何故なら、ふたりが襲われた時、悠介は既に悪魔ではなかったからだ。
ここからは個人的見解になるが、『僕ら』とは斎藤悠介ひとりを指しているのではないだろうか。彼は高校入学後すぐに自暴自棄となり、それまでの生活を捨て、短期間のうちに"愛"を知り、自分の罪を認め、挙句殺人までも犯した。目まぐるしい心情の変化で、記憶を失いたくなるほどの過度なストレスを感じたはずだ。
過度なストレスや堪えられない状況を目の当たりにすると、それを自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離してしまう心の病がある。思い出せなくすることで、心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害、それが『解離性同一性障害』だ。
斎藤悠介は、正確には『記憶喪失』ではなく、新しい自分を自らの心で作り出してしまう『解離性同一性障害』になったのではないだろうか。悪魔の斎藤悠介が幻覚となって現れ、罪に苛まれた斎藤悠介自身に話しかけてくるシーンと、中学卒業時に一ノ瀬へ語ったセリフが、その裏付けと考えられる。
「だから、今日でリセット!新天地で新たにキャラメイクした斎藤悠介で、平穏で幸せな日常を手に入れるのさ!」
きっと、悪魔だった頃の斎藤悠介も、何もかも全て忘れて新しい自分を創造したいと思っていたに違いない。だが、結果的にそれは無理だった。しかし、たくさんの感情の渦が一度に押し寄せたことによって、別の人格を無理矢理形成し、記憶喪失のような状態に陥ったのではないだろうか。つまり、『僕ら』とは、多重人格の斎藤悠介のことを指していると考察する。

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■最後に

一ノ瀬、シュウ、環という物語の中心人物たちがついに一堂に会した今、おそらく物語の佳境と考えていいだろう。しかし、そこには発起人の会澤の姿がない。彼は、まだ何かを企んでいるのだろうか。そして、取り返しのつかない罪の重さを知った斎藤悠介は、過去の過ちとどう向き合っていくのか。今後の展開にますます目が離せない。

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