はい、

会社辞めてちょうど1年間無職やってます。


なんもしないと決めて、

好きなことやりまくって、

時々スイッチきって

完全なオフまでしてます。

それをオフの中のオフと呼んでます。

 

オフの中のオフは旅行のあとと

イベント終わりによくやってます指差し

ダレトク情報すみません。

 

はい、本題へ、ごー。

 

前務めていた会社は

都内ちょっと上場企業で

年収は大体700万円くらいでした。

 

そんな会社もう二度と入れないんだから、

我慢しなよと何度言われて、

何度おもったことか。


合わないし、つまらないけど、

こなせばええかとか、

ずっと悩んでましたね。

 

あのころ、なつかしい。

 

やめるきっかけは間違いなく、

ころころころちゃんちょっと不満

 

コロナが始まったときは

ちょうどグループ会社に出向していて、

外部の営業をやってました。

 

自社と顧客と取り組み先さんを

ぐるぐるしてる仕事だったのに、

ロックダウンだし、会社来るなだし。

 

半同棲している彼氏との別れが決まり(円満)、

会社には半分来ないで、家で仕事しろだし。

 

よし、もう海の近く住もう。

わたし、サーファーになる!

 

って、行って辻堂に住んで、

茅ヶ崎のサーフィンスクールに行った。

 

ここからわたしの人生観が変わるのです波

 

いい大学入って、いい会社入って、

愚痴を言いながらみんなで酒飲んで、

海外旅行行って、いい服着て。

 

そんな人生がいいと思っていたところに、

サーファーたちとの出会いは衝撃だった。

 

波を追いかけて仕事は二の次。

いい波が来たら、学校とか会社行かない。

冬山で働いて、夏はサーフィン三昧。

(季節労働ってことね)

 

おいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!!

かっけーーーーー!!なんだこの生き方!!

 

あこがれすぎてと

茅ヶ崎のサーファー仲間が楽しすぎて

毎日、海に入って、

波ない日はスケボーやっての日々。

 

リモートだろうが出社だろうが、

朝の4時に起きて波チェックしてみたいな感じ。

 



なんか今までのつきものが

取れたような感じだった指差し


なんだよ、今まで歩いてきた道だけが

正解じゃなかったんじゃん!


ってなった。34歳くらいかな?

 

もう、毎日海に行って、

スケボーしての毎日だから

真っ黒になったけど、

仲間がいてという毎日はとても楽しかった。

 



この仲間に自分が作ったお菓子や

料理の余ったのを

持っていくことをきっかけに、

「わたしごはん屋さんやりたいな」

というのが芽生えていく。



 

ちなみにサーファーチームは

普通にノンベジです。

ラザニア、サーモン、チキン、ケーキ、パイ。

たくさん作ったなー。

みんなが楽しく食べてくれるの楽しくて

仕方なかった。

 

え?コロナは?ってなると思うんだけど、

海界隈の人はほとんどマスクしてなかったので

あんまり変わらずだったんですよね。

 

海って、浄化と

6,7チャクラがとてもクリアになる場所。

宇宙につながっている人と

地球につながっている人が多いから、

あんまりコロちゃんによる

影響はあんまりだったな。

(わたしのまわりは)

 

元気にやっていたところに、

突然わたしがコロナにかかる日がくる。

 

誰にも会えない、高熱、苦しい。

で、当時好きだった人とかに電話したり。

その人にね

「まりこは考えすぎだし、

落ち着きないから瞑想しなよ。」

と言われたのね。

 

人間性もスピリチュアリティも

なってねぇお前がやれやって

心の中で

かわいく青筋立てながらつぶやいたハート

 

でも、確かにこんなに人に会わないで

自分に集中できることないなと思って

熱下がってからは

毎日瞑想をするようになった。

基本真面目体質がここで生きてる!

 

晴れた日は朝から砂に埋もれてシャバーサナ。

家に帰ったら座ってたり、

聖なる予言読んでみたり。



 

そんなある日、

なんかとてつもない光の中に包まれて、

暖かくて気持ちよくて、

なんだよ全部ひとつじゃんかっていうのを

瞑想中に体感する。

 

なんか、幸せで楽しくなった。

 

すげーってなった。

自分が特別ですごいものだと思えて、

すごい力が抜けた。

 

そのあとは仕事はするものの、

人にごはんふるまったり、

チネイザンとマクロビ習いにいったり、

オーガニックショップにいったり、

アクセスバーズ習ったり、

シェアキッチンでごはん屋さんやってみたり。

 

片っ端からやりたいことやっていってた。

 

毎日が楽しくて、うきうきする。

 

でもそうなってくると全然時間が足りない

(睡眠時間は8時間とるけど)

 

会社に行って、会社のことを

考えている時間がもったいないなぁ。

 

と考えるようになっていく。

 

そのタイミングで35歳の

上乗せ退職金の話が出てきたので、

これは行くしかないなと思って辞表を出す。

 

この時にね、

サーフィン仲間のおじさまたちに相談した。

30代なんていくらでも取り返し

つくんだからやりたいことやりな!

って言ってくれて、

それもとても励みになったのを覚えてる。

みんなありがとう。

 

それに、どうせ我慢できない性格なんだから、

やるしかないよねってね。

(過去に3回会社で病気になってるわたし)


 

辞表を出したちょうどその頃、

ライフコーチのところに行き、

コーチングというものを人生初でしてもらい、

辞表出してから辞めるまでの3か月は

コーチングを受けたことで

より自分がどうなりたいのかや、

自分ってどう生きたいのかが明確になった。

 

多分コーチングやってなかったら、

3か月間不安で吐きそうになってたと思う。

後悔ばかりしてたと思う。

 

自分の整理

自分をちゃんと

受け入れていくこと、

許していくこと、

愛していくこと、

 

そんなことができた3か月だったな。

 

今思い返しても幸せ。

 

自分がやりたいって決めたリストがこれね。

 

その後、インドにいるときに半分以上

叶ってるじゃん!って

なってびっくりするんだけど、

今となればそれも必然。



 

 

まだ、無職だけど

今振り返ってもやっぱり後悔ないわ。

 

今日も楽しく生きています◎

 

はりおん