​ヨガの聖地らしい



前情報は友達からのおすすめ情報のみで

突然あれよあれよときてしまったRishkesh。

・ドミトリー、ホテル

・おしゃれカフェ

・おすすめヨガクラス

・ganga arati スポット


なんかすごいholy placeに違いない!!

と、ワクワクしてきてみたら

すんごい西洋風なおしゃれカフェ、

オーガニックショップ、

ガンジス川でラフティングやろうぜ

みたいな感じだった。


ヨガのために

外国人観光客がたくさん来るわけで、

ヨガの聖地!インドではなく、

なんか外国人用ヨガリゾート感が満載。


数歩いけば、ヨガスクールがあるという

意味ではヨガ感はもちろんあるし、

本当に修行してももちろんいるんだけど。


??なんか、え?こんな感じ不安はてなマーク

わざわざここまできたのに、がっかりした。

わたしが思っていたのと違う。ここ。


まぁ、でも、

牛と牛のうんちがいっぱい(インドっぽい)

交通量多くて騒音がすごい(インドっぽい)

普通に倍以上ふっかけられる(インドっぽい)

空気が汚くて、鼻の穴真っ黒(インドっぽい)



あ、わたしなんかインドに来てるんだキラキラ飛び出すハート

という、実感にはバッチリだったんだけどね。


 わたしはこれを求めてない​


とりあえず、ついた翌日は観光。

友達に教えてもらったところに

片っ端から行ってみる。


おおー!

すごいなぁ。

きれいだわぁ。

私の憧れsivaさまー!飛び出すハート愛うつくしい。



そして、何かとガンジス川(ガンガー)に

足つけたり、触ったりして、

その横でその水を汲んで

普通にのみはじめるインド人みて驚いて。


その翌日は教えてもらったヨガクラスでたり、

キルタン行ってみたり、

オーガニックショップで買い物して、

おしゃれなカフェ行って、

予定いっぱいで充実は充実。

はぁー。

やったった感。


  ん?でも、なんか違う。

  これなんか求めてたやつじゃない。

  

 普通にヨガ観光地enjoy!  yeah!キメてるキラキラ


なことしてたけど、

全然こんなの求めてないわぁ悲しい

となって突然ブルーに。


しかし、ふとinstagramチェックしたら

なんと湘南の知り合いの方が

何やらインドに来ているっぽいではないか。

しかも多分ココ!


すぐに連絡をして早々に会えることに!

そこから、その方に

sivanandaのganga aratiを

やっている場所を教えてもらう。

もうね、ここが涙出るくらい感動した。

〈Gurudev Kutir〉

Gurudev が住んでいたらしい場所で

いろんなものが置いてある。もう震える。



その後に、またその方から

sivananda関連の知り合いの日本人の方を

教えてもらい、

今度はsivananda ashuramのサットサンガや

2/28のMaha Shivaratri にも参加の仕方を

教えてもらうという奇跡不安キラキラハート

感謝しかない。





え?なに?夢なのかな?

くらいの勢いでいろんなことが起きていく。


観光地っぽさにがっかりからの

修行モードで一気に気持ちが上がる!


いやーぁぁぁぁあああキラキラキラキラキューン愛飛び出すハート愛


そこから一気にわたしのRishkeshがかわる。

修行モードのわたしを誰も止められないぜ。


 ​わたしが求めてたもの


南インドでいたashuramで途中から

ずっと常に感じていた違和感があった。


 ここには誰も

 本当の修行者もswamiもいない。



修行体質のわたしとしては、

やはりこの世でどこまでいけるのか、

swami sivnandaに触れたものたちが

どうなっていくのかが

知りたくてしかたなかったのだ。


もしも実在するのならば、

わたしはその人たちに会いたい。

その人たちの空気に触れたい。


その一心でここに来たのもあったんだと思う。


Rishkeshに来た理由〉

  sivanandaのルーツを味わいたい!

 修行者たちに会いたい!

 swamiに会いたい!



来た当初の、

彼氏作るー

ヨガ(アーサナ)先生になるー

北インド堪能するー

観光したいー


とか本当全然違ったー泣き笑い

やっぱりこうでないと、わたしの旅は。


 ​修行モードスタート


まず初めに、

Rishkeshのashuramには簡単に泊まれません。


なので、今回も泊まれないため、

少し離れたところのドミをやめて、

一番近いと思われるホテルに移動。


〈スケジュール〉

5:00  瞑想とprayers

6:30 朝のarati

自由時間

 Bhagavad Gitaを読む

 yogaの本読む

 ごはん

 ガンガーの辺りでまったり

 沐浴

 お菓子探し

 食べたことないもの果敢に攻める(欲深い)


17:00 Ganga arati

19:30 satsanga



しかしここで、

よっしゃーと気合いいっぱい入れたあとに

もともと一緒にここに来る予定だった彼が登場。


ごはんたべたり、少し観光したりしている時に、

もともとの予定通りトレッキング行こうよとか

色々提案されるが、全然行きたくない。


なんならこのご飯食べてる時間も

早くashuram行きたい。


あの空気感を1秒でも感じたくて震える不安


彼ともしかして何かーとか

もう一切の迷いもなくて、


『1人で集中したいからもう遊べない』


と連絡して終了した。


もう、わたし我ながらストイックすぎる泣き笑い

もう少しグラつけよって思ったけど、

仕方ない。こころは修行モードなんだもんハート


このメールに普通に楽しんでねという

返信返ってくるあたりは

TTCフレンズは理解あって助かる。


改めてよっしゃ!となったら、

今度は

謎の水下痢と吐き気とゲップに見舞われる。


ん?これもしかしても調べたら

Giardiasisに多分感染したみたいて。

いめ

通称たまごゲップ病。

ゲップが卵の匂いして、水下痢と倦怠感。

もう、症状ぴったり。


おなかは痛くないんだけど、

ずっとトイレに通いで。


翌日に近くの薬局で症状を伝えて

抗生物質飲んで休む。




もう!なんでやー!!

と思いつつ、ガンジス川で泳いだし、

最近疲れてたし、心当たりしかない。



↓ 高校球児が泳いでる感しかないけど、わたし


これはもう浄化だなぁと受け入れて

ホテルの中でダラダラして

ご飯の時だけお腹抑えて

漏れないかビクビクしながら

移動する生活。


ある程度良くなったある日ふと、11時くらいに

サマディホールに行ってみると、

なんとスワミジとの問答を

やっているところに参加できることに!


そこで質問に答えていた言葉で

わたしがとても印象に残ったのが


        『surrender is necessary』

                手放すことが必要


これがなかなかできない。

わたしの課題でもあると感じていたから

なおのこと引っかかったんだと思う。


そして手放したくて手放したくて仕方ない。


早く、楽になりたい!

安心した世界で暮らしたい!


なのに、全然できないー!と

もやもやしながらトボトボとホテルに戻る。




 エゴとの対面


時間軸ちょっと前後しますが、

この少し前に、ふと日本人の方から


背筋がまっすぐじゃない、

体に力が入ってるよ。

背筋がまっすぐじゃないと

エネルギーが通らないよ。


ふとした時に指摘された。


いつも言われること、

どうしたらいいかわからない

なんかずっとなんです

体硬いから


とか、口から出てくる出てくる言い訳。

指摘されたくない内容だったんだと思う。

普通にショックをうけて

悲しいなぁと感じつつ、

自分でもずっと思っていたことだった。



あれ?わたしすごい自分のことを

受け入れられるようになったのに

なんで、まだ身体がこわばってるんだろ?

わたしは何が怖いんだろ?



この強張りはいつも怖いときに

身をすくめる感覚と同じだった。


この強張りをヒントに

自分にセルフコーチングをしていく。


まず出てきたのは、


まるでブッダか出家した時のような話。

周りは理解できずに俗世に止めようとするが、

わたしは使命のためにここをさる!

なんでみんなりかいできないのだ、悲しい。


みたいな話。


一緒に気持ちわかるよーと泣いたりして。


しかし、次が本題。

エゴさま大爆発。


ブッダ役だった少年は

カットがかかった瞬間に悪い顔になる。

『わたし以外全員、バカしかいない。

 わたしだけが唯一選ばれたもの。

 同じにされたくもない、

 馬鹿とは話したくない。』


ひぇー不安

なんじゃこのやばいやつ!

なんて自己中心的でとんでもないやつ!

いやー!


はい、みなさん紹介が遅れました。

これがわたしのエゴちゃんですキメてるキューン



そうわたしのエゴが

草むらから突然出てきたのです!

戦うのか、逃げるのか。

コマンドをコロコロ入れ替えるわたし。


ここで逃げたら修行の意味がない。

だから、そのエゴに対して許可を出した。


そんな自分もいていい、

わたしはエゴも含めて大好きだよと。


そうしたらもう涙も鼻水も

ズルズルになりながら泣きまくって

やっと落ち着いた。


今まで無視し続けたエゴを

やっと認めることができた。


これは何を意味しているのか。


わたしはエゴを認めて、

持っているのだと認識をし始めた。


ということは!


持っている=手放せる


この法則がなりたつのだ!だ!だ!


エゴを発見して対峙した時は

はっきり言って苦しすぎて

心臓破裂するかと思うくらいの動悸

あー、やばい死ぬ死ぬこのわたしを見たら死ぬ。


呪いか何かなのかな?くらいの恐怖だった。


でも、いま思ってみると、

こどものおねしょみたいな感じ。


バレたらママに嫌われる!


みたいな感じのレベルだった。



そんなことに気がつかせてくれた北インド

サンキューでしかない旅でした。



続く