『カンタベリー物語』 | こんにちは、アン VS 赤毛のまぐS/Nねっと

『カンタベリー物語』

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)/チョーサー
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もしかして、全訳を読んだ方がよかったのだろうか……というか、まだ上巻の『騎士の物語』を読み終わったところなのですが。

本書の『総序の歌』に描写されている様子、物語の始まりが「巡礼行」であるということは、先に読んでしまったダン・シモンズの『ハイぺリオン』が、いまさらながら、そのプロットに、『カンタベリー物語』を意識していたことを理解しました。キーツがモチーフになっているのは、作中人物がことあるごとにキーツ、キーツ言っていたのであれでしたが……。

ハイペリオン (海外SFノヴェルズ)/ダン シモンズ
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そういえば、これも、『ハイぺリオン』しか読んでません。
これらシリーズ作品を第一作しか読まない病気を、『ドグラ・マグラ』症候群と名付けたいと思います(意味不明)。私は『ドグラ・マグラ』を上巻しか読んでいません。たぶん、もう10年以上前に読んでそれっきりだと思います。死んでも下巻を読まないつもりです。この下巻は本当は10年目に読むつもりだったのですが気がかわりました。死んでも読みません。ちなみに、この10年越しに『ドグラ・マグラ』下巻を読むというプランは、森博嗣が起源です。この文章の意味がわかった人はすごい森博嗣ファンだと思います。わからなくても、森博嗣ファンに何のダメージもありませんけど。


チョーサーの時代、3月12日に太陽は白羊宮に入った、という註釈は興味深いです。

エミリー姫を奪い合うアルシーテとパラモンが、それぞれペリーとテディに重なって見えました。エミリー・バード・スターとは、明らかにキャラクターが異なっていますけど。

エミリーと重要な接点を持つ神として、頻繁にダイアナが登場していることも、見逃せません。訳注の105にあるエピソードは、『エミリー』シリーズで描かれている、あのエピソードでしょうね。『パットお嬢さん』でも似たようなことやってましたけど……バーンズのタモ・シャンター由来のタモ・シャンター帽を被せるだけにとどめた『赤毛のアン』は、やっぱり、いちおう、意識していたんだろうな、と思わざるをえません。だから、バッジ・ウィルソンの『こんにちはアン』で、エッグマンの部屋に『ヴィーナス』の絵があったのは、そこは、ダイアナでもよかったのでは? という気もしますね。

なんか、全然関係ないことを思い出したんですが、『ポンペイ最後の日』のニディアが盲目なのは、ヴィーナスの息子であるキューピッドの女性版だからなんでしょうね。結局、グローカスとアイオンの仲をとりもったら、グローカスを慕いながら、邪魔な自分は海中に身を投げて自殺してしまう。せっかくポンペイ山の噴火から命が助かったというのに、あまりにも悲劇的で、やっぱり泣けてしまう。自己犠牲の精神というものは、リットンの『ザノーニ』のザノーニがヴァイオラの命を救うために自らが身代わりになって断頭台の露に消えるという選択を選ぶシーンにも描かれていましたが、ザノーニがキリスト的で、あまりに恰好よい死にざまなのに、結局ヴァイオラはザノーニの死のショックで死ぬし、ふたりの息子は孤児になってしまうので、なんというか、複雑な感情を心に刻みつけてエンディングを迎えてしまい、泣くに泣けない……。

つまり、何が言いたいのかというと、アルシーテがサタンの姦計で事故死してしまい、その今わの際に、パラモンにエミリー姫を託して、天国への巡礼の旅にでる、という最期は、やはり、騎士として恰好がいい、ということでしょうか。そういえば、アニメ『コードギアス』のルルーシュの自己犠牲の死は、あれは、結局、やっぱり妹ナナリーのためだった、と私は解釈しました。別に、世界のために死んだのではないと思います。行ってみれば、ナナリーの世界のために自分の命を犠牲にしたのでしょうね。あくまでも私の勝手な解釈です。ただ、そういう見方をした、というだけで。みんな最期は天国への巡礼の旅にでるのではないでしょうか……。


巡礼行といえば、バニヤンの『天路歴程』ですし、モンゴメリのエミリー・バード・スターも、『天路歴程』を下敷きにしていて、死んだ父親がまさにその主人公クリスチャンと同じく天国への巡礼のさなかにあることになっていますが、『カンタベリー物語』の巡礼行と重ねてみようと思えばできなくもないですね。

また、脱線しますが、『マシュー・アーノルド詩集』の著者近影を見ていて、思ったことがあります。アニメ『風の少女エミリー』のジミーさんって、マシュー・アーノルドじゃん!



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【結論】


ジミーさんは、

マシューだった!


  
今回、こんなわけのわからない記事を書いてみて、もっと、ちゃんと読む人のことを考えて記事を書くべきだと思いました。それが正しい姿勢だと思うのですが、何故、今回、こんなわけのわからん記事の書き方をしてしまったのかというと、一度やってみたかったから、としかコメントできません。ところで、『あしながおじさん』でジュディが、マシュー・アーノルドの詩集を雨ざらしにしてダメにしてしまうのは、作者ウェブスターによる確信犯的マシュー・カスバート殺人事件と考えてさしつかえないのでしょうか。『アンの夢の家』を読むと、やっぱり、どう考えてもジム船長はマシュー・アーノルドを意識しているとしか思えないし……。もっとなにかこう、おもしろおかしくするために、ジミーさんの頭はチョコレートキャラメルでできていた!とか、つきぬけたばかばかしい結論で締めておけばよかったかも知れません。

最後に、もうひとつだけ。

アニメ『こんにちはアン』のOPで最初に表示される画面の元ネタは、バッジ・ウィルソンの『Before Green Gables』の原書にある挿絵だった!


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【結論2】

どっちも洗濯ものが

干してあるだけじゃん!


  


【結論3】

もう最後のネタとか

『カンタベリー物語』

関係ないじゃん!!